【ハッピーちゃん】望みのバグが怪奇現象を引き起こす!?望み方が分からないとき

HAPPYさんこと、竹腰紗智(前田紗智)さんがお話していた内容を文字起こししています。

心が苦しくなった時や辛い現実を変えたいと思った時に、スッと気持ちが楽になると思いますので、ぜひ読んでみてくださいね。

今回は、2020年10月16日のお話し内容です。

この記事の内容は、HAPPYさんの愛の計らいによって著作権フリーとなっているため、共有させて頂いております。

目次

【ハッピーちゃん】望みのバグが怪奇現象を引き起こす!?望み方が分からないとき

望みのバグ。

ちょうど今日の朝、題材にさせてもらった方とやりとりをしてて。
「うわ、これめっちゃやってそうだな」って思って。

もう一人、昨日いたんですよ。
望み方が下手な人が。

同じことを喋ったのもあって、「うわ、これシェアした方がいいな」と思ってですね。

バグってなんだと思います?
私、調べたんですよね。
これは望みのバグだなと思って。

コンピューターのプログラムに潜む誤り。

バグとは英語で虫の意味であり、コンピュータープログラムの誤りや結果を表す。

一番最初にパソコンを開発した人のパソコンに、本当に虫が入り込んだことがあって、それでバグっていう言い方をするようになったらしいんだよね。

さあ、みんなで考えよう。

正常なものが、虫によって設定がおかしくされてるわけでしょ?
プログラミングが、正常じゃなくなってる。

異常になってるってことじゃないですか。
元々無制限に望むことが、私たちのプログラミングで正常なはずなのに。

さあ、なぜバグが起きるのでしょうか?
このバグって何でしょうか?

そうなんですよ。
エゴキンマンが侵食してるんで、正常なプログラムが作動してないんですよね。

私たちの望む行為というのは、神の偉大な力である。
これを忘れないでください。


神の偉大な力が失われてるっていうか、異常をきたしてるわけですね。
だから苦しかったりとか病気になったりとか、ストレスを感じたりするわけね。


そう、エゴキンマンなんですよね。
エゴキンマンなんですよ。

エゴキンマンを大きな存在に育てちゃったが故に、プログラミングがバグを起こしている。
望み方が分からなくなってしまった。

パソコンのバグを直せば、正常に戻るじゃないですか。
バグってるから変だっただけで。

元々は正常なのに、この仕組みを分かってなかったので。
人類はバグったパソコンで頑張り続ければ、パソコンが直ると思っちゃったわけですね。

いや、虫がいる限り無理だろっていう話じゃないですか。
バグってるパソコンのまま直しもしないで、一生懸命パソコンでエクセル表とか打ち続けても、全部間違えてるわけでしょ。

それで「もうダメなんだ」って思うのって、すごい無意味だと思いません?
バグってるからエクセルも間違っちゃっただけで、そのバグを直したら大丈夫っていうことなんですよね。

だから自分自身の存在に対する自己否定っていうのは、マジで不要っていうことですね。

っていうことは、虫を取り出せばいいってことかな?

そうなんですよ。
エゴキンマンをミセスエゴに変えればいい。

エゴキンマンも悪くないわけ。
元々はミセスエゴだったんだから。
天使が悪魔になっちゃった、みたいな感じですよ。

壊れかけの電卓って、言い方を間違えてました、私。
壊れた電卓でした。

そうですね、ラジオだけでいいですね、壊れかけはね。
もはや壊れてる電卓は、無意味。

壊れた電卓を直そう、本当。
壊れた電卓で計算しても、全部間違えてくるから。

その正体はエゴキンマンっていうところまで、解明されちゃったわけですよ。
エゴキンマンのなだめ方っていうのは、今この瞬間にいるのが一番馬力が強いですね。

今この瞬間を味わうっていうことを徹底的にしていただければ、本当にミセスエゴに変わります。

あとは瞑想とか、マラソンしたりとかお料理作ってる時とか。
まぁ、あなたが何か無心でやれる時っていうのは、ソースそのもので抵抗がなくなってるんで。

その時あなたの中のバグが、なくなってる状態ですね。
だからなるべく、その時間を増やしてほしいっていうことです。


エゴキンマンの正体もつかめて、気づけるようになって。
無人島に行ったりとか、他人が素敵に見えたりとか、壊れた電卓を叩いてみたりとか。

まぁ、いろんな技にかかりながら、右往左往してここまで来てると思うんですけど。
少なからず一番最初のエゴキンマンの存在を捉えてなかった時よりかは、自己否定はまず格段になくなってきていると思います。

あとエゴキンマンの存在自体の声が、そこまでめちゃくちゃ大きく鳴り響くこともなくなりつつあると思うんですね。

今回朝にやり取りした人と昨日やり取りした人も、望みのバグを指摘できるレベルだったってことです。
もう既に。

そもそもエゴキンマンがあまりにもでかい状態だと、この話すらまだできないんですよね。
壊れた電卓が大きすぎて、望もうとすると壊れた電卓が弾き出されて。
徹底的に嫌な気分になっちゃうんですよ。

その段階のエゴキンマンが大き過ぎる状態の時だと、壊れた電卓もでかいから。
まず「こうなったらいいな」って、純粋に望めない。

もう思った瞬間に、「じゃあそこには、どうやって行きつくんだ」みたいな。
そして「今の現状の私から考えたら、どうなってこうなって…どう頑張っても無理だ」みたいになっちゃうわけね。

だからこれは言うならば、ちょっと中級とか上級になった人向けかもしれない。
だって知らなかったんだもん。

心の声だと思ってたじゃなない?
あなたのエゴキンマンの声が。
心の声だと思ってたでしょ?

でも分かったんだから。
壊れた電卓は、エゴキンマンの仕業だということが分かったわけだから。

分かったのであれば、もう気付けばいい。
「これはまた、壊れた電卓だ」みたいな。

もう嫌な気分になったらね、確実に壊れた電卓ですから。
使わないでください。


その電卓を使う限り、あなたはエゴキンマの支配下にいます。

エゴキンマンの声と分かっていても、説得力があるから支配されそうになる。

言い分に筋が通っていても、無視していいのかな?

今までその筋の通った話を聞いて、気分が悪くなってましたよね。
従って良いことありましたか?
何か良いことありましたか?

あなたに心の解放をもたらしましたか?
あなたに心の自由をもたらしましたか?


きっと、Noだと思うんですね。

筋の通っている方が、信じやすいんですよ、当たり前だけど。
だって、慣れ親しんだものだから。


逆ですよね、結局。
逆にしていけばいい話ですね。

窮屈で苦しくてつらい。

そうだと思いますよ。

例えば、こんなことがありましたね。
数年前の話ですけど。

アイキン(樺沢愛さん)に私が「こういう生き方があるんだよ」「もう最高楽しいよ」って誘ってた時、彼女はガン無視だったわけですよ。

でも気になっちゃう、みたいなレベルね。
私が楽しそうに笑ってるから、すごい気になってるんだけど。

その時は節約主婦で、年金と将来の子供の学資保険のこととかを考えてる状態だったから。
私のこういうことが、あまりにも突飛で。

それをママ友たちに話すと、やっぱり正論を言われて。
「子供が大きくなった時にどうするの?」「将来のためにお金は必要でしょ」とか。

正論ですよね。
まさに正論じゃないですか。

そういうことを言われたら、「そりゃそうだよね」ってなっちゃうんだよね。
なぜならそれが、慣れ親しんでる世界の概念だから。
「そりゃそうだよね」ってなるわけですよ。


でもその時の選択の仕方として、正論とか正しいじゃなくて「自分の心が楽しくて、惹かれる考え方とか概念って何なんだろう?」って。

もしその時行動を起こせなかったとしても、「自分にとって楽しいって心が言ってる概念、考え方、観念、本当はそれは一体どっちなんだろう?」って。

それで矢印を指した方が、あなたにとっての真実ですよね。

例えばここまで来ちゃうと、私は今まで持ってた概念から新しい概念にパラダイムシフトみたいなのが起きてしまって、その新しい概念の方がもう長くなってるんですよね。

自分の中で慣れ親しんじゃった。
だから今までの古い概念の正論を今私に突きつけられても、私からしたら「???」なんですよね。

でも数年前の段階では、自分も「あ、やっぱりそうだよな」「私がやろうとしてること、変かもしれない」っていうのがあった。

新しい概念に親しみまくった今では、相手の考え方にもちろん否定はしないですけど、もし正論を突きつけられても私はよく分からないっていう感じですね。

そうですね、正論っていうのは常識って言われるやつですね。

ここまで私も概念がいきなり変わったわけではなくて、1個ずつ自分の中の窮屈さを感じた時に「もうこれから抜けたい」ってやってきた。

どっちかって言ったら「嫌だ」が、やっぱり原動力になってますね。
「嫌だ」「これはもう嫌だ」

望み方が分からないっていう人が、いると思うんですけど。
望み方が分からない人って、「嫌だ」とか文句が多いと思うんですよ。

「嫌だ」と文句が言えるってことは、その逆サイドを見る癖が付いてないだけだから。
「嫌だ」と文句が多い人ほど、反転させれるすごい馬力を持ってるんですよね。


だから望み方が分からないんだったら、「嫌だ」を書き出してみてください。
今自分が人生で生きていて「これが嫌だ、あれが嫌だ」を、まず書き出すんですよ。

そこに感情移入しないでほしい。
嫌なことリストみたいな感じで書くだけ。

それに矢印を引っ張って「それがどうなったらいいのか」っていうのを、書き出すんですよね。
望み方が下手くそな人は「嫌だ」なら、出しやすいと思う。

「嫌だ」が出るってことは「最高はこれ!」っていうのが裏側にあるのに、それを見る癖が全くついてないんですよね。

私の望み方は、結構いつもこうですね。
嫌なことがあると、すごい強烈な望みが出る。

今までは分からなかったと思うんで、とにかく「嫌だ」とか文句ばっかり言ってたと思うんですけど。
まぁ、それで幸せになってないですよね、たぶん。

「嫌だ」とか文句を言うことが、ダメなわけじゃなくて。
「嫌だ」と文句の裏にある「自分の本当の望みは何なのか」「本当は何が良かったのか」っていうのを、きちんと知ることをすればよかったわけですね。

私がそうだったわけです。
知らなかった。

「嫌だ」の裏には「これがいい」があったんだっていうのを、エイブラハムに教えてもらったわけですよ。
「嫌」が多い人は、望みも多いってことですからね。

大体ワンシーンごとに起きてるはずだから、それって。
ワンシーンごとに毎日生きてて、そのワンシーンの中に挟み込まれてくるじゃん、たまに「嫌だ」って思うことが。

じゃあそのワンシーンの時に立ち止まって深呼吸して、「めっちゃ今嫌な気分」って思ったとして。
「じゃあこのシーンがどういうシチュエーションだったら、自分にとって最高だったんだろう?」っていう考え方ですね。

そうすれば「あ、私こういうのが嫌だ」「体験したくない」「こういうのがいい」「こういう体験したい」みたいな感じになるわけですよ。

だから私で言うと、こんな感じかな。

安室ちゃんを見に行って、安室ちゃんのコンサートを見てる時に「嫌だ」っていうのは出ないんですよね。
ただ純粋に望む場所に行って、「自分もこういうのやりたいな」っていう。

望む場所に行って、望むものを抽出するっていう。
これがパターン。

もう1個、普通に現実を生きてて「うわ、最悪」っていう出来事から、「じゃあどうだったらいい?」っていうことがあった。

まぁ大きな出来事として、シンデレラプロジェクトの当日に音響ミスがあって。
あれはまさにですよね。

急に起きたワンシーンだったじゃないですか。
マイクのスイッチングがされてなくて、オフになってるっていう。

あれの時に「うわ、最悪」みたいな。
「何なん!?」っていう文句、「嫌だ」からの「じゃあ、どうだったらいいの?」っていう。

あれは私の日頃のトレーニングの、まさに賜物でしたね。
自分で言うのもなんだけど、あっぱれって感じ。

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