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【ハッピーちゃん】気分には価値がある!外に表したときに芸術になる

HAPPYさんこと、竹腰紗智(前田紗智)さんがお話していた内容を文字起こししています。

HAPPYさんは、2014年からエイブラハムの引き寄せの法則を自らの人生で実験し、自分を生きることの大切さを伝え続けています。

壮絶な生い立ちやいじめられた経験などで自分に自信のない状態から、どうやって満たされた人生に変わっていったのか、詳しく具体的にシェアしてくれています。

出版されている本を読むと、さらに具体的な実践方法を知ることができますよ!

今回は、2020年6月13日のお話し内容です。

この記事の内容は、HAPPYさんの愛の計らいによって著作権フリーとなっているため、共有させて頂いております。

目次

【ハッピーちゃん】気分には価値がある!外に表したときに芸術になる

感じたこととか自分の気持ちの痛みっていうのを、言葉とイラストにしてる人がいたんですよ。
芸術ってそれなんですよ。

「気分がお宝」ってずっと言ってるじゃないですか。
気持ち、気分っていうもの。

全員にとって、このフィールっていうのが宝物なんですよね、見えているものではなくて。
更に今もっと突っ込んで、現実と今の自分の気持ちを切り離すっていうことやってるじゃないですか。

だからとにかく一番大事にしなきゃいけないのは、自分の感じてるその気分だから。

「苦しい」「もやもやする」とか「怒り」とか、その気分を「現実とセット」とか「他人とセット」とかにすると、自分のものじゃなくなってくるよね、だんだん。
自分のものじゃなくなってくるから。

とにかく自分の気分だけ、それを大事に感じようっていう。
自分の感じてる「痛み」「苦しみ」「悲しみ」「怒り」を、自分だけの気分を外に表した時、これが芸術なんですよ。

もうその時点でそうなんですよ。
自分の気分っていうのを外に表した時、芸術なんですよね。

だからピカソとかゴッホとか、もう本当に何世紀も語り継がれてる芸術たちっていうのは、その人の中に埋もれていた、その気分なんですよね。

あれがもう外に出ているもの。
それをみんなが感じ取るから。

だから、あんまり意味が分かんなくないですか?
「何でこの絵がいいんだろう?」とかって、説明し難いっていうか。

言葉だったり絵だったり。
音にすると、それが音楽ですよね。

自分の内側にあるものを大事にしてもらって。
別にそれを外に出さなくてもいいんだけど。

だから、芸術になるぐらい価値のあるものだっていうことが言いたいわけですね。
感情は芸術になるぐらい価値のあるものなんですよ。


ディズニーランドとか、ウォルトディズニーがネズミに命を吹き込んだイラストがブワッ!て展開されて、夢の国を作ったわけでしょう?

彼のあれって、ワクワクの気分が何世紀にも渡って伝播して私たちに届いてるわけじゃないですか。
一人のワクワクが世界中に広がり、死んだ後でも人類に届いてるんですよ。

始まりは何かっていったら、ワクワクした気分だったんですよね。
絵の方で言えば、その人たちがその時に感じた悲しみとか苦しみとか、どっちかって言うとそういったものの気分が何世紀にも渡って語り継がれて、見る人の心を動かすっていう。

だからどっちかって言ったら、ウォルトディズニーの方が陽かもしれないね。
ワクワクってしたエネルギー。

ムンクの叫びとかはどっちかって言うと、悲しみとか悩み憂いとか、そういう気分の方だと思うんだけど。

だからあなたが感じたその瞬間の気分が、何世紀にも渡って持ち越されるぐらいの芸術であり、価値があるものだっていうことなんですよね。
それを表現した方々のものが物質化されたものを見て、私たちはそのエネルギーを感じてるわけですよね。

葛藤もですよね、葛藤も気分ですよね。
「苦しい」「もやもやする」「分からない」「なんなんだこれ」みたいな。

だからね、今は絵とか音楽とか言葉とか分かりやすいもので表現しましたけど、別に何でもいいんですよね。
粘土でもいいし、自分がピンときたもので。

別に外に作品として出すとか出さないとかじゃなくて、自分の気分が芸術になるぐらい価値があるっていうことが言いたいんです。
どんな気分でも。

だからもし苦しかったら、例えばだけど、今もう芸術家になった気分でね、それこそ自分がもう芸術家だ、と。

「自分の気分は芸術になって、後世語り継がれる」「暗い気分には価値がある」って理解したところで、葛藤とか苦しいとか悩みとかそういうものが湧いて「もうどうしようもない」っていう時に「あっ、色にするんだったらこの色何色だろう?」「音にするんだったらどの音だろう?」「丸とか三角とか四角とか、抽象的なシンボル的な形に捉えるんだったら、どんな形だろう?」とか。

別に自分の内側のものを実際書いたりとか何か音楽作ったりしなくても、芸術家だから。
「その気分っていうのを捉えるとしたら、どういう色でどういう音でどういう形かな?」みたいなふうにしてみてください。

それ自体に価値があるから。
もしそれがすんなり外に出せて表現できる人がいるのであれば、絵にしたり音に乗せたりして、例えば自分のインスタだったりブログだったりでぜひ発信してみてください。

別にそこまで私はそういうのを外に表現したりはしないんで。
ブログで文章にはしますけど。

何かを留めておいて捉えるだけでもいい。
人生そのものはアートである。
私たちは全員クリエイター
だっていう意味が分かります。

現実世界の社会で見えてる言葉だけで捉えると、クリエイターとかアートってやってない人からしたら、自分がそうだとは思えないんだけど。

ここに来てさ、気分に価値があって芸術とは気分が外に表れたものだっていうのが分かれば「あっそりゃ人生ってアートであって、自分ってクリエイターだな」っていう視点になりますよね。

「いや、それはそうだろう」みたいな。
だって気分を持ってない人はいないもんね。
気分を持ってない人はいない。

羞恥心は、どう芸術に消化できるのかな?

羞恥心っていう、その感じてる「恥ずかしい」っていう気持ちがどんな色か感じてみてください。
「色にするんだったらどんな色なんだろう?」って。

アートは見るだけだった。

アートを見て「なんか分かんないな」でもいいわけですよね。
感じてるわけじゃないですか。

「なんかよくわかんない」でも、それも感じてる一個だし。
その時その瞬間、自分が感じたこと。

あと、数字もいいかもしれない。
「この今の恥ずかしいっていう気持ちを、数字に表すんだったら8かな」とか。

そういうさ、数字とか色とか音とか作品にしなかったとしても、メモはすごいおすすめしますね。
「ソ、シ、黄色、赤、緑、四角、8」みたいな。

自分の気分を暗号みたいに書いてみる。
それも別にそれ自体に意味はないけど、自分のことを知れば知るほど、いろんなものが明晰に見えてくるわけだから。

メモっていうのは、あなたを深く知るためのひとつの手引書になっていくと思います。

数学者が、数には情緒があるって言ってた。

数学者は数字にこれを感じるんじゃない?
数字に自分の気分をリンクさせてるのかも。


これをやってたら、気分に関しての良い悪いがなくならないですかね?
呪いが解けませんか?
自分の気分に関してのジャッジメントが。

「ネガティブな思考が悪い」「ポジティブがいい」みたいな、長年刷り込まれたそれから解放されるような気がしますけど。

ぽんちゃん(廣部有香さん)がね、少し前に血みどろの、ちょっと気持ち悪いグロい作品とかがすごい好きって言ってて。
それをやりたいんだけど、やっぱりそんなものはみんなからよく思われない、みたいなことを言ってたんだけど。

私もそういうの好きなんですよね、それこそめっちゃ暗い話とか。
どっちかって言ったら、取り付く島がないエンディングの物語が好きなんですよね、ハッピーエンドより。

「この感情の持って行き場所、最後どうしたらいいの?」みたいな、気持ち悪い終わり方するやつとか。
それこそグロいやつとかもそうだし。
私は作りたいんじゃなくて、見たい人なんですよね。

いつか思ったのが、「自分がどこかに置いてきた、見ないようにしてた感情を、私はこの作品たちを見て癒してるんだな」って思ったわけですよね。

ってことは、作ってくれてる方が私のその作品を通して、自分の消化できなかった感情を出させてくれてる、感じさせてくれてる。
置き去りにしてきた、私のその気分たちっていうのがあるんですよね。

どこかで「今この感情を感じちゃダメ」とか「そんなこと思っちゃダメ」とか、自分に対する否定だったりとか、その時に素直に感じれなかったものを人が作品として出してくれることで、過去の自分のその感情、気分、宝物を引っ張り出してきて癒してるんだなっていう。

なので自分がもし、一般向けを全くしないし「何でこんな変なもの」って思われるようなものを作りたいっていう衝動がある人がいたら、そういうことです。

見たいって思う人がいるんですよ、必ず。
あなたが作りたいんだったら、見たいっていう人がいて、その見たい人っていうのは過去に自分の癒せなかったその気分たち、置き去りにしてきたものがあって、あなたの作品を見てそれが癒えるんですよね。

みんなこれ、説明が付いてないだけで勝手にそれを感じてますね。

グロいドラマや漫画は、テレビで放送されなくなったな。

たぶんそういうのを見るとそうなるっていうことで、どんどんどんどん排他されていったと思うんですけど。
でもやっぱりね、跳ね除ければ跳ね除けるほど闇が強くなっちゃうんだよね、結局ね。

私は見る派ですね、見たい派です。
見ないようにしてると強まるよね。
臭いものに蓋じゃないけどさ。

「自分の作品が誰かを救えるかも」って思うと、とっても嬉しい気分だ。

たぶん自分が「それを作りたい!」って作ってるときに、そもそも本人に癒しが起きると思うんですよね。
だって自分のパッションに従って作りたいものを生み出した。

自分が癒されるってことは、自分の世界が全てなんで。
他人もいるようで、本当は自分だから。

自分が癒えるってことは結局、他人も癒しちゃうんですよね、勝手に。

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