【ハッピーちゃん】潔く謝って自己責任が取れるようになる!責められ怒られているように聞こえる「頭の中の声」を鎮めよう

HAPPYさんこと、竹腰紗智(前田紗智)さんがお話していた内容を文字起こししています。

心が苦しくなった時や辛い現実を変えたいと思った時に、スッと気持ちが楽になると思いますので、ぜひ読んでみてくださいね。

今回は、2020年5月25日のお話し内容です。

この記事の内容は、HAPPYさんの愛の計らいによって著作権フリーとなっているため、共有させて頂いております。

目次

【ハッピーちゃん】潔く謝って自己責任が取れるようになる!責められ怒られているように聞こえる「頭の中の声」を鎮めよう

私が大勢の前で失敗とかしくじりを話すのが、本当にすごいっていう感想を結構もらったんですけど。
その中で「元からそういう性格だったんですか?」っていう質問をもらって。

全然私、本当にそんなことなくて。
まぁ今までにも話したことがあるんですけど、私はいじめられてた経験があります、と。

今よりもほんとに顔が丸々してたんで、大きい顔でニキビ顔だったから「だいがんニキビ」っていうあだ名をつけられて、いじめられてたんですよ。

その時に一緒になっていじめられてた子がいて。
自分の番が回ってくるのが本当にに怖くて、その子のことをボスみたいな人に売る、みたいな。

「あの子、こんなこと言ってたよ」みたいな姑息なことをしてね、自分にいじめの対象が来ないようにしてたんですよ。
その様子を遠くから客観的に見てたある子に「さっちゃんって、コウモリみたいだね」って言われて。

あまりにもたぶんショックすぎて、その記憶を封印してたんですよ、自分の中で。
もう全然忘れてたの。


でも大人になって、私とか色んな人のことをあっちでこう言って、こっちでこう言ってっていうことが、近しいところで2年前くらいに起きて。

その時に私が「なんなん!?そのコウモリみたいな立ち振る舞い!」って自分で言葉にした瞬間、その記憶がバッ!て思い出されて。
「はっ!私それ、人から言われたことある」ってなって。

いじめの対象にならないように人のことを売ったりとかしてた、ズルくて卑怯な自分を見たくないから記憶から抹消してたけど「自分だったんだ」って。

ドッペルゲンガーって、私と同じ人が違う場所に見える「あそこに自分がいる」っていう現象かと思ってたんですけど。

ドッペルゲンガーっていうのは、過去とか未来の私が他人に姿を変えて、同じタイムライン上に立つことなんだっていうのが分かったんですよ。
だからその瞬間、その人に対する怒りとか何もかもが消えたんですよね。


むしろ過去の自分がその人に姿を変えて、許しを請いに私に会いに来たんだって思ったんですよ。
なぜなら私は、その時の自分がクソほど嫌いだったんですよね。

嫌いすぎて記憶から消してたんですよ。
でも、許されたがってたんですよね、もうそろそろ。
その私の時期が来て、ちゃんと受け止めれるタイムラインに立てたから。

小学生の自分がさ、今同じ次元に存在することってできないじゃん。
じゃあどうやって一緒に接触するかっていうと、他人の姿に変えてじゃないと会えないんですよね。

だからそれに付随してね、謝ることが極度に嫌いだったんですよ、私。
とにかく「私じゃない」っていうことを、言いたがる人だったんですよね。

うまく言葉で交わすっていうか、いかに自分に責任が来ないようにするかっていうのに頭を働かせて、そう立ち振る舞うことに頭と労力を使ってて。
だからミスった時とか、いかに「自分は悪くない」っていうように持っていけるか、みたいな。

そもそも昔の私が、大勢の前で旗振りするようなことはできないですけど。
でも例えば、自分の発言で迷惑をかけてしまったことが起きて、やんわりとそれを指摘された時に、前のマインドの状態だったら私は確実に「すいませーん、なんかたぶん、みんな分かってなかったと思うんですよね」とかっていう言い方を絶対してた。

「自分の責任じゃありません、だから私のことを責めないでください」みたいな。

この記憶もね、本当に忘れてて。
今日この話しようと思って、それこそ思い出したんですけど。

そういえば辛すぎて、自分の名前を出すのが嫌だから「〇〇ちゃんがいじめられてるので、本当にあの人たち何とかしてください」っていじめられている子たちの名前を文字が分からないように書いて、夜中に小学校に行ってポストに投函した記憶を今日思い出しました。

そんな感じで、そういうズルいこととか卑怯なことをして。
自分が一番よく見てるでしょ、自分のことだから。

自分のことがすごい嫌いで、一人で教室の中で友達もいないのに凛としてる人に嫌悪感を抱いてて。
「一人でいるなんて信じられない」みたいな。

でもどこかでやっぱり憧れがあって。
かっこいいから。


きつすぎたんですよ。
いじめられるその状況がきつすぎて、怖くて自分の名前を出せないから他人の名前を使って、いじめをやめてもらうためにポストに投函しに行ったのを思い出した。

「あの時の自分は、何であんなに怖がってたんだろう?」って思うわけです、今となったら。
「別に誰に嫌われようと、自分がいたくもない人と一緒にいなくていいって分かってるから一人でいるし、喋らなくていいじゃん」って普通に思えるんだけど。

あの時は一人でいることが死を意味するみたいな怖さがあったんですよね。
それが大人になっても、逃げて「私、悪くないんです」みたいなズル賢い立ち振舞いをしてたのも、もちろん自分で自分のことをよく見てるから好きじゃないんですよね。

でも昨日とか「潔さがすごいかっこいい」とかって言われたんだけど、私そんな性格じゃなかったんですよね、全然。
それこそ「何でだったんだろう?」って思ったら、やっぱりこれはエゴキンマンなんですよね。

自分の中のエゴキンマンの存在が弱くなったが故に、こうスパッと凛としてられるようになって「自分で全部責任とります」っていうことができるようになったっていうか。

何であんなに怖がってたかというと、結局エゴキンマンが頭の中を支配してたんで、責められることがとにかく嫌なんです。
人から責められることが怖くてしょうがないから、とにかく怒られたくない、とにかくいじめられたくない、とにかくハブにされたくない。

それが起きないように必死で必死で誰かを売って、自分の身を守るために必死で動いてたわけですよね。
でもやればやるほど自分のことがどんどんまた嫌いになって、エゴキンマンが肥大する、みたいなことが起きてて。

ソースの眼差しっていうのは、無条件で愛してくれてる。
だから最初はそういう卑怯とかズルいとかっていう自分を、本当にソースの眼差しは受け入れてくれてるわけですよね、「あ、そうなんだ」って。

まず最初のステップでそれをやり始めて6年かけてやってきたら、頭の中で責め立てる声が聞こえなくなったんで。
人から責められたりとか怒られてるっていう状況に立たされても、自分が自分のことを責めてないから。
エゴキンマンがいないからね。

起きた物事に対してただ責任をとって、謝罪するとか行動するとかになったんですよね。
結局人から責められたり怒られるのが嫌だから、そうならないように立ち振る舞いをするんですよ。

でも怒られないように責められないように立ち振る舞って生きるって、それこそエゴキンマンにナビゲートしてもらって生きるっていう行為になるから、心がどんどん苦しくなるわけですよね。
だって本当はそんな場所にいたくないって、自分がよく分かってるわけだから。


エゴキンマンが強すぎて、こんなことも起きてました。
私、ののちゃんっていう友達がいるんですけど。

私が1作目の本を出したヒカルランドっていう出版社で働いてて。
「全然たけちゃんの言ってること、よくわかんない」とか言いながら、スピリチュアルど真ん中の出版社で働いてるんですけど。

ののちゃんが私、昔は大嫌いでめっちゃ苦手だったんですよ。
なぜなら、彼女の頭の中にエゴキンマンがいないんですよね。
隣にいる私がエゴキンマンを飼ってて。

職場が一緒だったから、友達っていうか職場で一緒にやりとりしなきゃいけない人だったんですよ。
何か資料を提出するたびに「たけちゃんってほんとにガサツだよね〜」とかって言われるたびに、グサグサグサッみたいな。

「ほんとこの人苦手、嫌い」って思ってたんですけど。
エゴキンマンがいなくなってみたら、彼女はそんな言い方をしてなかったんですよね。

肯定的な感じだったんですよ。
それを私はエゴキンマンの声で変換して「自分のこと何でも勘でも責める」に変えてたから、言われることが全部自分のことをダメって言われてるみたいな感じに捉えてて。

すごい大っ嫌いだったんだけど、もう今は超大好きです、大好き。
はなから好意的だったのに私がエゴキンマン化してて「スパッて言うその言葉が私のことを傷つけてる」って、私が勝手に傷ついてたんですよ。

だから、元からズルくて元から卑怯な人がいないということが言いたかったんです。
私が元から、こんな竹を割った性格ではないということが言いたかったんですよ。

それって本当に、エゴキンマンの違いです。
何%なのかの度合いの話だから。

だったらその、パーセンテージを少しでも薄くしていけばいい話なんですよね。
だから、少しずつ練習していけばいい。

失敗しないように責められないように怒られないようにじゃなくて、そういうことが起きた時に「次はこうしようよ」みたいな文化ができればいいですよね。

今この瞬間、こういう話をしてる時、エゴキンマンは超絶薄まってるんですよ。
度合いが、パーセンテージがね。
こういうことにフォーカスしてる時は、確実に弱まってるんですよ。

例えばSNSを見て誰かと比較して「ほら、お前はダメだダメだダメだ」ってやってる1時間と、こういうソースの眼差しに触れて「あ〜、そうだった、そうだった」って真実を思い出す時間は違いますよね。

結局エゴキンマンが弱まったらね、あなたは何でもやるから。
何でもできるんですよ。

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