【ハッピーちゃん】絶望や無力を感じるときはどうする?内なる自由を取り戻そう!

HAPPYさんこと、竹腰紗智(前田紗智)さんがお話していた内容を文字起こししています。

心が苦しくなった時や辛い現実を変えたいと思った時に、スッと気持ちが楽になると思いますので、ぜひ読んでみてくださいね。

今回は、2020年8月1日のお話し内容です。

この記事の内容は、HAPPYさんの愛の計らいによって著作権フリーとなっているため、共有させて頂いております。

目次

【ハッピーちゃん】絶望や無力を感じるときはどうする?内なる自由を取り戻そう!

Netflixで「君に届け」っていう、三浦春馬さんのドラマを見てたんですよ。
お亡くなりになられたんで急上昇ランキングの上位になってて、それがたまたま目に入って。

「君に届け」の内容自体は、主人公の女の子が別にいじめにあってるって訳じゃないんだけど、暗くて髪の毛が長くてさ。
だからみんなから怖がられて友達がいないみたいな、まぁそういう話なんですよ。

何の話かっていうと、私、ああいう学園もののいじめとかハブにされてるとか、そういうのを見るとね、古傷が痛むんですよ。

家庭環境のことよりいじめにあってた時のことが、自分の人生の中でかなり強烈なトラウマになってるんで。
障害的なことは起きてないんですけど、そういうのを見るとフラッシュバックとか、その時の自分の感情にチャネリングが入っちゃうんで。

「あ〜、きつかったなぁ」っていうのが湧き上がってくるんだよね。
今までも何回もあったんだけど、今日なんだかふと「何であんなに辛かったんだろう?」って思って。

それが結局は「自分のことを自分で傷つけてたから、きつかったんだ」っていうところに行き着いたんだけど。
なんかもっと先がありそうだな、みたいな。

もう少し深く突き詰めてみたときに、私の場合はですよ。
ある時から「世界が自分にとって果てしなく大きなもので、変えられないもので固まっていて、その中の私はあくまで本当に小さな小さなものである」って感じてた。


無力感だったんですね。
あの時あんなに絶望を何で感じてたかっていうと、無力感。

これ本当ね、ある時からなんです、ある時から。
最初はそうじゃなかった、もちろん。

記憶もあるんですよ。
自分が「可愛いな」って思ってたものとか「好きだな」って思ってたものがあったのに、ある時から「あぁ、これを可愛いって言うんだ」とか「これを良いって言うんだ」とかに変わったんですよ、自分の中で。

何がきっかけかは分からないです。
その考えが芽生えてるんですよ、ある時から。

だから他人が「好き」って言っているものを「私もそれを好きっていうものなんだ」みたいな。
だから親から言われる言葉とか友達から言われる言葉とかっていうのに関して、全部が「そういうことなんだ」みたいな。

合わせてる感じもなかったんですよ。
「そういうものなんだ」みたいな感じ。

反抗心とか「そうじゃないよな」っていうのもなぜか浮かんでなくて、何なんでしょうね。
なんかすんなり。

例えば「本当にあんた、出来悪いね」って言われたら「何でそんなこと言うの?」とかじゃなくて「そういうもんなんだ、私は出来が悪いものなんだ」とかになってた。

まぁ心当たりもあったから、それに関しては。
事実なんですけど、ニキビがすごかったのと顔が大きいっていうので「大顔ニキビ」っていうあだ名をつけられてて。
いじめられちゃうんだけど。

「なんでそんな酷いこと言うの?」っていうのすら、浮かばなかった。
「そうだよね、そうなんだ〜」みたいな。

そういうのが全部入ってきちゃって、「自分の意見がない」っていう位置にも立ててなかった、みたいな。
そういうもんだと思ってた、ほんとに。

よく考えるの。
私が今のこの状態であのシーンに出くわしたら、本当に「一言こう言うな」と思って。
「そんなこと言うのやめてよ」とか「別にそんなことないよ」って。

たった一言が自分の中から芽生えるだけでよかったはずなのに、思えなかったんだよね。
それは結局「自分が選べる」っていうことを知らなかったから。

よくこの話はしてると思うんだけど、私本当に、子供のタイミングで一番上の人に教えてもらったり先生に教えてもらいたかったことは「あなたはどんな意見でも自分できちんと選択できる」っていうことを、教えてもらいたかったんです。

「何を受け入れ何を信じるのかは自分で決めていい」って、それだけを教えてもらえてたらよかったなっていう。
「やめてよ」って何で出なかったかっていうと、「結局そういうもんなんだ」「世界ってそういうもんなんだ」っていう感じだったから。

抵抗も犯行も何も起きない。
そうすると無力になってくるんよね。

人間は無力感を感じると、絶望の中を漂うわけですよね。

教えてもらえることは、これだけでよかったと思った。
「あなたはこれからの人生、きっといろんな人に会うし、いろんなことを言われたりいろんなものに出くわすと思うけど、いつだって自分が何を感じ何を考え、どの人の意見をどういう形で取り入れるのかも全部自分の内側で選択できるから、選べばいい」っていう。

これだけが欲しかったなっていう。
そうすれば、あの時の荒波も私なりの乗り越え方があったのかなって。

例えばいじめをしている本人に「やめてよ」っていう強さがなかったとしても「そんなことないもん」みたいな。
「なんであの子達、あんなこと言うんだろう?」って、疑問レベルまでは自分の中で湧いてたんじゃないのかなって。

この「なんでそんなことされなきゃいけないの?」って、これって結構生命力が強いから。
無条件で「そうなんだ」ってなっていると、ただ世界に飲まれて流されてる感じ。
「私は選べるような存在じゃない」っていう。

「ちゃんと自分で選択して良かったんだ」っていうことを知らなかったから、無力感で絶望を感じてたんですよね。

「選べないんだ」って気づけてたら、まだ強いんだよね。
そもそも選べてもないっていう。

なんか無意識じゃない?
私の小学校の時代っていうのは。

「選ぶ、選べない」とかもうそんな概念すらない、みたいな状況だからさ。
もうただただ「そうなんですね、そうなんですね」だったけど。

「選べる」って結局「あ〜そっか、どんなものでも、どういう状況が起きてどういう人が現れてどんなことが起きても、私はその場所で何を信じ何を考え何を感じ、どこに進むかも自分できちんと選べばいいんだ」っていう。

なんかね、自分の中にそれがあるんですよ、一番深い所に。
それが結構お守り
っていうか。

じゃあここで感じてるのは何かって言ったら、やっぱり自由だなぁと思ったんですよ。
自由さ。

現実的にいくら不自由な状況であったとしても、内面的ないろいろなことを考え感じ何を信じてっていうのは、誰にも縛られなくて自分で選んでいいっていう。

私がそうであるように、他人もそうであるっていう。
そういうのを理解してるのがすごく自由だな、と思っていて。

そしたら思い出したんですよね。

人生の基盤は自由。
人生の目的は喜び。
人生の結果は拡大成長である。

エイブラハム

そうだ!と思って。
人生の基盤は自由なんですよね。


内面的な自由を本当に手に入れると外的なものも目の前に現れるから、外的な状況も環境的にも自由になっていくんですよね。

内面が不自由な状態で環境的に自由なものを手に入れたとしても、内面が不自由だと選んでる感覚がないから、人からは「いいね」って言われるような人生かもしれないけど、自分の満足感がないんですよね。
基盤の自由さっていうのを感じれてないから。


自分で言うのもなんだけど、この教え通りの状態に私はなってるな、と思って。
実際にそういう在り方をしてきたら本当に内面は自由だし、自分の今の目的っていうのは本当に喜びのために生きてるし。

その結果、今何が起きているかと言えば、自分の内面的な成長と意識の拡大と、それに伴って芸術的にもいろんな広がりがあって、みたいな。

教え通りにちゃんと私、実践しとるやないかいって。
自由って、ほんとに内面的な自由なんですよね。

「親が褒めて育てればいい」とかって言うけど、でも親の意見だけじゃないじゃない。
子供が育っていく上で、いろんな人にいろんなことを言われるわけ。

だから褒め言葉だけで育てるっていうのは、逆にちょっと恐ろしいかもしれないよね。
ちゃんと言ってあげた方がいいよね。

「私は親としてあなたに色々言うかもしれないけど、それを受け取るかどうかは自分で考えてください」って。
それをしとけば「傷つく内容も褒められる言葉も、自分で選んで自分で何を受け入れるか決めれるんだ」ってなる。

それさえ分かったら、囲って囲って過保護で褒めちぎって子育てしなくたっていいと思いますね。

ハッピーちゃんにとって、喜びとは何ですか?

いろいろありますよね。
今こういう話をみんなにシェアしているこの時間も喜びだし、「美味しいな〜」と思いながらロースカツバーガーを食べてる時も喜びだし。


あと、今日久しぶりに表参道の美容室に行ったんだけどさ、前髪切ってもらっている時にBGMが流れてて、いつもの担当者の人のカチカチカチっていうはさみの音がして「あ〜、久しぶりだなぁ」って。

毎月当たり前に通っててこの人に切ってもらうのが当たり前だったけど、5カ月ぶりに切ってもらった時に「ありがたいなぁ〜」みたいなことをね、思ったんですよ。
それも喜びです。

いろんなシーンでいろんな時があるんで、何をやっている時が喜びっていうのは特にない。

ということで、自由、内面的な自由を選べてるんですよ、我々は。
結局この目の前のこと味わえなかったら、どこにいたって無理ですよ。

何もないもん。
目の前のことを本当に味わう。

そして何を信じ、何を考え、何を感じ、そしてどうするのかも、本当は誰もあなたを止めるものなんてないし、無理なんですよ。
あなたが決めれるんですよ。

それを感じてる時、自由ですね。
自由です。

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