【ハッピーちゃん】自分で決めてる?それとも何かに寄っ掛かってる?ファンと信者の違い

HAPPYさんこと、竹腰紗智(前田紗智)さんがお話していた内容を文字起こししています。

心が苦しくなった時や辛い現実を変えたいと思った時に、スッと気持ちが楽になると思いますので、ぜひ読んでみてくださいね。

今回は、2020年1月15日のお話し内容です。

この記事の内容は、HAPPYさんの愛の計らいによって著作権フリーとなっているため、共有させて頂いております。

目次

【ハッピーちゃん】自分で決めてる?それとも何かに寄っ掛かってる?ファンと信者の違い

なんか、スピリチュアルって括らなくていいかな、と思って。

何かって言ったら、生き方とか在り方とか考え方を発信してる人っていうのは、自分が正解と思ってみんな発信してるから、パワフルなんですよね。

強いんですよ。
みなぎるパワーみたいなのがあるんですよね。

でも、そもそも自分もその存在状態であるって知ってるから。
みんな、深いところでは。


だから、惹かれるんですよね。
でもそこからが、罠にはまっていくトラップが待っていて。

その存在状態に自分も憧れていて、それそのものなのよ、自分も。
その力強さを自分も持ってるから、惹かれるんだけど。

なんと、なんとね、「その人のその力強い正解の言葉の行動をしていれば、幸せに、正解に辿り着ける」ってなっちゃう。
だからこれは、罠になっちゃうんですね。

なんで惹かれたかっていったら、その人の言葉に命が宿っているからですよ。
なんでその人の言葉に命が宿っているかっていうと、「私の道は私だけ」っていうその力強さで喋ってるから、言葉に命が宿ってるの。

ずっと発信してる人っていうのは、「私は私の道である」感が、もう前面に出ているが故に、言葉がパワフル。
だから、人も引き付ける。

その人の、軸が立ってるんですよね。

だがしかし、ここにやっぱり大きな罠があって、「本当に何に惹かれたか」という点ではなく「その人の言っていることをやっていれば、幸せになれる」っていう、罠に引っ掛かっていくね。

勝手に、自分でね。
その人が引っ掛けてないよ、勝手に自分で引っ掛かりに行ってるんだから。


そう思った時に、音楽ってね、そこに込められたメッセージとかエネルギーに、みんな惹かれるじゃないですか。

でも、出してるのがミュージックっていうものだから、「幸せになるために」的な感じでチョイスはしないですよね。
音楽は。

ミュージックは、ミュージックですよね。
バンドとかが、自分が感じたことを音に乗せて作詞して歌っているもので、その本人たちのディティールみたいなのが音楽の後ろにあるから、「ただ好き」っていう感じで終わるじゃん。

「ただ好き」みたいなので、音楽って聴くじゃん。
「幸せになれる」とはならないじゃん。

そうやって考えた時に、X JAPANね。
すごいグループがあったじゃないですか、X JAPAN。

hideが死んだ時、後追い自殺があったでしょ。
X JAPANってやっぱり、ギューッて窮屈なこの社会に対して一石を投じたっていうか。

「自由に自分の概念で生きるんだ」っていう、生き方みたいなのとか在り方とかが、結構あの人たちは音楽と一緒に出てたじゃない?

その中でもやっぱりhideっていう存在は、すごくその辺が強かった。
だから音楽もそうなんだけど、その人自身の考え方とかがすごく表立って惹きつけてて。

思想的なものに惹かれて。
尾崎豊とかもそうだったね

でもAKBは、たぶんそんなことにはならないと思うんですよ。
「可愛いね」っていう、ビジュアルで音楽で楽しませるっていう。

自分の考え方や思想みたいなのを、バツンと言葉に乗せてやってないじゃないですか、発信を。
だから、ならないよね。

でもやっぱX JAPANのhideとかは、それがすごい強い人だった。
アイドルがそうならないのは何でかって言ったら、ビジュアルとキャッチーな可愛いらしさなんですよね。

後追い自殺とかまで走った人たちっていうのは、ファンを通り越して信者ですよね。
熱狂的な信者。

その人の生き方と在り方がそれこそ、その人の中で神様になっていて、その人がいなくなってしまったからっていうことだと思うんですよ。

それが、こういう生き方、在り方、考え方を音楽なしで、それそのものでバーンて表現している人たちっていうのは、そういうことが起こりやすいなっていうのに気づいたんですよね。

私の世界では、信者はいらなくて。
世界中のみんなが私のファンっていうのが、自分の意識の中でずっと前からあるんですよ。

だから別に私のことを知らない人でも、私のファンっていう。
勝手なお花畑思想を持っていて。
ファンしかいらないっていう。

信者っていう言葉自体に、どういう意味付けをしているかでも変わるけど。
私が信者っていうものに対して引っ付けちゃってるイメージっていうのが、「自分不在で何かに幸せを預ける」っていうような言葉の意味合いを、私はつけちゃってる。

今この意味合いで信者になっている方がいたら、絶対にファンになってください。
ファンって「私が選んでる、私が好きな人なの」っていう感覚でしょ。

だから、私はさやちゃん(吉野紗弥佳さん)の信者ではないんですよ。
さやちゃんのファンなんですよ。

私が選んでる好きな人だから、私はさやちゃんのファン。
ファンっていう「私その人が好きなの」だったら、何も邪な気持ちは芽生えないと思うんだよね。
「ただ好き」みたいな。

でもそれが自分の中で「この人の言葉を聞いてたら良いことが起こるかもしれない」みたいな、信者的な感じがあると、その人のことを喋る時に自分の中にもなんか変な感じがあるから。
人に「その人のことが好き」って喋ってても、変な感じになるっていうか。

この「自分で決める」っていう件で、いろんな意味をいろんな人がつけると思うんだけど、私は信者っていう言葉のイメージが、自分不在の何かに寄っ掛かるっていうイメージ持ってるんで、私の世界では本当にいらない。

ファンがいいです。
ファンが欲しい。

「自分で決める」っていうこの意識があれば、私のイメージする信者っていう人はいなくなる。
なぜなら、「私が決めて好きになってる」っていうファンだから。

だから、エイブラハムのファンなんですよ。
エイブラハムの信者じゃないんですよ。
エイブラハムのファンなの、私は。

聴いてるとミュージックみたいな感じ。
気分がいいし自分が心地よく、この現実世界にいて、いつだって思い出させてくれるから。

すごいありがたい、自分の人生に彩りを添えてくれるもの。
だからファン。

でも、「エイブラハムが私を幸せにしてくれる」と思ってないし、「さやちゃんが私を変えてくれる」と思ってないし。
自分が決定権を持ってて、自分が選んで、自分の幸せは自分の責任にあるっていう。

自分しか自分のことを幸せにできないんです。
誰もいないの、誰も。


「私は私のファン」っていう状態になったら、周りがファンの人ばっかりになる。
私はアイキン(樺澤愛さん)のファンでもあるし、しーちゃん(旺季志ずかさん)のファンでもあるし、パールちゃん(久保田尚美さん)のファンでもある。

私もう、周りにファンの人ばっかり。

自分がその人のファンっていう人が、周りに溢れるんだ。

そうなんですよ。
そうなるんですよ、世界が。


「そうだ私、ファンが好き、ファンがいい」「だって自分だって、いろんな人のファンだもん」って思った時に、前の会社のね、企業理念を思い出して。
私が前にいた会社の企業理念。

「接したすべての人に、あなたと会社のファンになってもらおう」っていう企業理念で、毎日復唱してたんですよ。
これ、まさに今やん、と思って。

そしてね、そのもう一個前の会社の企業理念がこれだったんですよ。
「人の心を、人生を豊かにする」

これも毎日、復唱してたんですね。
両方とも、今私が目指してる、在りたい存在状態ですね。

hideのことを調べてたら、やっぱり出てきたね。
「自分が hide みたいなアーティストを見つけたら、絶対ファンクラブに入る」って書いてあった。

だろうね、そうだよね、みたいな。
やっぱり、そういうことですよね。

自分のファンなんですよね、自分のファン。
だからhideは、自分がファンクラブに入りたくなるようなアーティストで存在してて、多くの人を魅了したんですね。

ちなみに私は、自分がっていう視点じゃなかったけど、ふと考えたことがあって。
「エイブラハムがこんなんやってくれたら、めっちゃええんやけどな」みたいな。

一人でコツコツやってきたことをね、エイブラハムみたいな存在が配信してくれて、新しい言葉で旬な感じで喋ってくれてさ。
私のことをすっかりソースに洗脳してくれたら、どんだけよかろうかって思ったんですよ。

だから、そういうのがあったら絶対自分が嬉しいし、絶対やりたいって思ってる内容がこれなんですよ。
私の中で。
古いのしかないんやもん。

そう、だから結局は、これは私が欲しかったものなんですよ。
私が欲しかったものを、自分でやっちゃってるんです。

だからある意味、HAPPYちゃんの一番のファンは私なんです。
私が一番やってもらいたかったことなんですよ。

結局のところは、私が今、別の立場でいたら、私のファンでこういう話を聞いてるってことだから、そういう現象が自分の世界の中で自分を基盤に起きるということですね。

だから伝えたいのは、私は私のファンであるからこういう感じになってるんですよ。
一番のファンです。

ということで、もう一度総括すると。

「私が決めた、私が好きなもの、私が選択してる」
この意識になると私の好きなものしかない
から、ファンっていう言葉になります。

自分が不在で「何かに寄っ掛かってれば幸せになれる」という、ビクビクした感じが自分の中からなくなるので、「不在のまま寄っ掛かる」という、「何かを信じてすがる」ものではなくなる。

信者ではなくなるわけですね。

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