【ハッピーちゃん】狂気的な部分や怒りもしっかり感じて、安堵できる場所に戻ろう

HAPPYさんこと、竹腰紗智(前田紗智)さんがお話していた内容を文字起こししています。

心が苦しくなった時や辛い現実を変えたいと思った時に、スッと気持ちが楽になると思いますので、ぜひ読んでみてくださいね。

今回は、2020年1月21日のお話し内容です。

この記事の内容は、HAPPYさんの愛の計らいによって著作権フリーとなっているため、共有させて頂いております。

目次

【ハッピーちゃん】狂気的な部分や怒りもしっかり感じて、安堵できる場所に戻ろう

日常でなるべく活用しやすいものが自分が好きなので、解説したり、説明っていう感じでいつも喋ってるんですけど。
なんか今日はふと、ただ私がいつもどんな意識で生きてるかっていう話をしてみようかなと思って。

瞑想とかの時間を作って、例えばノートに何か自分のことを書き連ねたりとか、そういう時間は私にとっては、ある意味日常の中でも特別な時間って定義している部分で。
自分の意識の中に深く入るっていう、そういう時間って感じなんですよ、特別な。

じゃあそれ以外、そういうタイミングじゃない時が、まあ日中ほとんどじゃないですか。
そういう時にどんな意識でいるかというと、今この瞬間、私はあらゆるものすべてであるっていう、その意識でいて。
それは、広大無辺な無限の意識なんですよ。

でも、人と接していたり普通の社会の中に入ると、その広大無辺で無限な意識、今この瞬間あらゆるものすべてが私であるっていう意識から、ずり落ちるというか。
小さな小さな有限な自己の意識の中に、パタンと入ってしまう時がよくあって。

まあそれは、誰しもそういう状況は多いと思うんですけど。
その小さな自己の意識、有限な自己の意識にパタンと入った瞬間に、その時に本質を見る目を忘れないでいようっていう意識でいます。


その小さな自己の意識、有限であるその意識か体験するものも、もちろん軽んじたり軽視したりはしていなくて。
それこそ分離意識、エゴキンマンが見る概念、その世界で起きる感情もすごく大事にしているので。

沸き上がって感じた、その感情っていうのはとても大事にしながら、でもその分離意識から発生したその苦しみの感情っていうのは、私の本質ではない。
それは有限の自己が引き起こしている部分だから。

広大無辺の無限の意識の目。
今、あらゆる瞬間、私はすべてである。

そこの場所に戻って、もう一度この体験を吟味してみようっていう、その行ったり来たりしながら自分を観察している状態ですね。

小さな有限の自己の意識の扉に入った瞬間に、やっぱり嫌な気分になって、自分の頭がグーッと縛り付けられたような感じにもなるし。
でもそれは、私が今まで生きてきた中で植え付けられた、自分で植え付けてきた物の見方、一つの観念、社会的な概念が、その感情を発生させている。
その広大無辺の意識との分離感というのを感じさせているから。

それを感じつつ、元の大きな無限の意識の場所に戻ろうっていう。
それを特別な感じでやっているわけではなくて。


まあね、私けっこう派手な格好してメイクもバチッてやってるんで、ほんとそんな風にはきっと見えはしないと思うんですけど。
そんな感じです、頭の中はいつも。

なので、あらゆる瞬間に今この瞬間細部に神が宿るっていう、これをすぐ忘れて小さな有限の意識の中に入ると、すごく窮屈さをやっぱり感じるから。
その場所からもう一度出て、その瞬間、元の意識の場所に戻るという。

いつからやってたんだっけな?
でも、ソースの視点っていうのエイブラハムに教えてもらってからかな。

「あらゆる瞬間に神が宿る」とか、ここまではまだやってなかったけど、最初のうちは。
「ソースの視点で見た時にどうなんだろう?」っていうのは、最初からやってたかな。

まあこれは私の、いつもこんな感じで生きてますっていう、ただのシェアです。

見える空間、今感じている空間すべてに私の意識がある。
あの人にも、この人にも、その人にも、私の意識というより、その神の意識が充満してる
って感じですかね。

そうすると、自分の意識がこの空間全部に拡張していく感じ、広がっていく感じがする。
でもその時はやっぱり、自然と呼吸しているかな。

深い呼吸をしてるかもしれない。
深い呼吸をして、そこに戻ってる
かもしれない。

コンビニのレジの待ち時間とかで、やってますね。
もうなんか、いつでもやってますね。

それは、ベローンとは違う感じ?

広大無辺の意識っていうところに戻ると、すごく安堵感が戻ってきくるので、ベローンですね。

それを蓮の上に乗るって言い方をしてもいいし、自分なりのイメージでそれぞれ違うと思うんですけど、私はそうです。
そこの場所に戻ると、ついさっきまですごく慌てふためいて問題だと思っていたことが、次の瞬間に消え去ってるっていう。


あまり意味ないかなと思ったんだけど、なんでこの話をふとしようかと思ったかというと、インスタを開いたら、ある投稿が目に入ってきて。
その内容を簡単に言うと、相手がしていることがすごく嫌だ、みたいな。

その人はね、もう自分で答えを出してたんですよ。
文章の中に答えが隠れてて。

「自分が強く嫌だと主張できなかったことが、原因だった気がします」みたいな。
だからたぶん、「嫌だ」っていうことに対して、真正面から「嫌だ」って怒りをあらわにすることに、タブーを感じているのかなって感じだったんですよ。

その時に、「あ、私、不動明王みたいによくなるな」と思って。
剣を持って、後ろがメラメラ炎で、みたいな。

ハッピーちゃんになって人間界で影響力みたいなのが付いた時に、人が恵比寿顔で「利用しよう」みたいな感じで近寄ってきて、旨味がないとわかった瞬間に手のひら返すみたいなことがあって。

本当にあるんだ、みたいな。
芸能界とかのことで、他人事で「へ〜」って見てたことが、本当に自分に起こるわけですね。

その時に、当たり前だけどすごい腹が立つ、ムカつくわけですよ。
でも、よく周りからは「よくケロッと、そんなすぐに忘れられるね」って言われるんですよね。

「なんで引きずらないの?」とか「私だったら、絶対1年以上悩み続けて引きずるようなことを、あんたは何でそんなにスパッとできるんや」って、よく言われてたんですけど。

私は、あまりにも腹立たしいことが起きたときに、燃やすんですよね。
その出来事とか人を。
頭の中でね。


その時、不動明王みたいになってる、自分が。
自分のこういう狂気的な部分っていうのに、許可を出しているんですよ、自分の頭の中で。

だから、燃やして切り裂いて、うわ〜!!ってやる。
結局それは何をやってるかっていうと、自分の怨念めいたエネルギーを、自分の剣でちゃんと毎回切れてるんですよね。
だから引きずらない。


それを実際に相手にぶつけてもいいし、ぶつけなくてもいいし、正解はないけど。
私はそれをやりたい時は、ただ自分がスッキリしたいだけなんですよ。

もし相手に何か言い訳して正論を振りかざしたい時は、相手を言いくるめてただスッキリしたいだけ。
もしその行動をとってしまった時に私は、一瞬すごくスッキリするけれど、結局その後に後味が悪いものが残るのを分かってるんで。
それをやっても、自分のためにならないなっていう。


だから頭の中ですごく狂気的になって、燃やしたり切り裂いたりして、自分のその怨念のエネルギーをきちんと炙りだして切り裂くっていう、エネルギーを。

そうすると、相手に対しての恨みつらみがスッとなくなる。
まあやっぱり、そこまでスパッと自分の中でさせるから、綺麗になくなってるんだよね、毎回。


逆に、この不動明王が自分の中から出てくると、すごくやっぱりパワフルになるんよね。
怒りとか恨みのエネルギーって。

それをパツン!って断ち切った後に、必ずやっぱり気づきが出てきて。
大概、私の場合はこういう出来事の時は、過去の許せてない自分とかだったりするんですよ。

そうすると、大きく自分の意識が広がるんですよね、それと共に。
その出来事と他人に対しての、慈しみの気持ちが勝手に湧いてきて、勝手に感謝に変わってるっていう。

「相手も色んな立場があるしな」とかをやる前に、呪い切るっていうか。
そうすると、慈しみの気持ちが湧いてくるんだよね。

「自分がその立場だったら」ってやっていくと、「あ、過去に私も同じ事してた」とか、そっちの立場をやってたことがあるとか、「それを許せてなかったな」とか、いろんなことに気づく。

エネルギーが変わっていく錬金術だと思ってます、これは。
結局自分の世界で、私の意識の中で起きていることなので。
そう感じている、観測している自分が、ただいるだけ。

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