【ハッピーちゃん】悟りが本来の姿!本当のパワーは隔たりで失われる

HAPPYさんこと、竹腰紗智(前田紗智)さんがお話していた内容を文字起こししています。

心が苦しくなった時や辛い現実を変えたいと思った時に、スッと気持ちが楽になると思いますので、ぜひ読んでみてくださいね。

今回は、2020年1月7日のお話し内容です。

この記事の内容は、HAPPYさんの愛の計らいによって著作権フリーとなっているため、共有させて頂いております。

目次

【ハッピーちゃん】悟りが本来の姿!本当のパワーは隔たりで失われる

悟りについて。
数々、歴代のさ、いろんな人たちが悟りの境地を求めて頑張ってこられたじゃないですか。
いろんな修行したり何なりで。

悟りって、差を取る。
差を取るから、ワンネス。
まあ、境地。

そう、人との差を取る、悟り。
っていう解釈。
私もそれ、なるほど〜って思ってて。

でも、私の個人的な見解がもう一個あって。
差を取る、悟りを開くっていうのはね、すごく考えたことがあったんですよ。
悟りって何だろう?みたいな。

他人との差を取る、もちろん確かにワンネス。
境界線がなくなるからワンネスだなって思ったんだけど、なんかもうちょっとある気がするなって思った。

そこで私的の見解は、自分の本当の私っていうソースと人間的な自分、2つの視点があるじゃないですか。
イメージ的に言うと、ソースの自分と人間的な自分の間に、エゴキンマンの硬い板があると思ってください、硬い薄い板。

間にこの薄い板があるから、ブツッて切られちゃってる感じ。
分けられちゃってる。
人間の自分とソースの自分が、このエゴキンマンの板で。

硬いんよ、すっごく、その板が。
だからまるで、人間の自分がたった一人で、この大海原の地球で生きているような感じの孤独を感じるわけ。


大いなる自分とつながりを断たれてるから、だから本当のパワーを取り戻したくて、物質世界でラムダ化して、とにかく行動して成果を上げて、何かの賞をとって、権威をもらって、有名になって地位を得て頑張るんだけど、そういう取ってつけたものをいくらやっても、満たされない。

満たされないのは、この薄い板で隔たりがあるからなんですよ。
硬いんですよ、これがまた。

でもベローンとしてリラックスして「もう、どうでもええわ〜」ってやると、このエゴキンマンがミセスエゴにその瞬間に変容するんで。

この硬い板が変容して、接着剤になるんですよ。
そうすると、ソースと人間的な自分のコネクトがピッてくっつくわけですね。

そうするとほら、差が取れたじゃないですか。
ソースと自分が一体化したでしょ。
差が取れて、間の板が接着剤に変わってひっついちゃったから、1個になったわけ。
差が取れたから、ほら、悟りを開けてる。

なので、蓮の上でベローンって呼吸して、今この瞬間にくつろぐっていうことをすると、その板が接着剤に変わって繋げてくれるんですよね。

そうすると分けてた板がなくなるから、差が取れるじゃん。
ソースと自分の差が取れちゃうから、悟りを開いちゃう、その瞬間。


悟りを開いてないというその自分の思い込みが、悟りから一番遠ざかる。
悟りを開いてないから「これをしなきゃ」ってやっている時点で、この板が硬さを増すんですよね。

どんどんソースと分断されるから、どんどん悟りから遠ざかる。
でも、そもそも悟りが本来の姿なんですよ。

板があるのが本当の姿じゃないから、接着剤の状態が本当だから。
本当はもともと悟ってて、間にあったその板を取るだけの作業だから。
ベローンと深呼吸することだけなんですよね。

そう、板もそもそもは接着剤なんよ。
本当は接着剤だったんだけど、硬くなっちゃってるわけやね。
硬直して。
だから、ソースと肉体の自分を分け隔てている。

無意味だと思っている人も多いと思うんですけど、「深呼吸してベローンして何になるんだ」みたいな。
でも、悟り開いた状態が1日のうちに積み重なって、めっちゃ明晰さが増すから、自分の中に。

なんでこんなに私は、元気がひどいんでしょうか。
この状態で生きてるからなんですよ。

そんな皆さんに、イエスキリストの聖書のこの言葉を送りしたいと思います。

心を鎮めよ
ならば汝を知るであろう

いい言葉。
まさにその通りですよね。
これが今話した内容を、言葉にした文章ですよ。

心を鎮めるんですよ、リラックスして。
そしたら、自分を知れるんですよ。


なぜかといったら、ソースと一緒になって悟りが開けるから。
自分のこと知りたいやん?


何で私はこんなことが浮かぶのかって、天才って言われればそれまでなんだけど、別にそうじゃなくて。
結局この、ソースと自分の差を取っていくと明晰さが本当に増してくるから、深い気づきがどんどん起きてくるんですよ。
自分の中から湧き上がるっていうか。

だって、いろいろ思い出すから。
この世界の理みたいな言葉が出てきたりとか、解説能力が上がったりとかして。

そうなって当たり前。
誰でもそうなる。

キリストはあの時代に、本当にかなり先駆者的にこの境地を深いところで知って、そのまま生きてた人だったんですよね。

結局、自分のこと知る、汝を知れっていうところに行き着けば。
汝とはすべてなるもの。
要は、他人も含めたこの世のすべてですから。

汝を知ることは、他を知ることでもあるっていう。
なので私は何を頑張っているのかって、本当にリラックスすることをすごく頑張ってますね。

やっぱり明晰さの中で生きていきたいなーっていう。
自分の中のその、明確な望みがあるので。

悟りを開いていきましょう。

目次
閉じる