【ハッピーちゃん】人の嫌な部分は、自分の我慢しているところを教えてくれる

HAPPYさんこと、竹腰紗智(前田紗智)さんがお話していた内容を文字起こししています。

心が苦しくなった時や辛い現実を変えたいと思った時に、スッと気持ちが楽になると思いますので、ぜひ読んでみてくださいね。

今回は、2020年1月6日のお話し内容です。

この記事の内容は、HAPPYさんの愛の計らいによって著作権フリーとなっているため、共有させて頂いております。

目次

【ハッピーちゃん】人の嫌な部分は、自分の我慢しているところを教えてくれる

自分に許可を出すっていうことについて、もう少し深く、みんなで学びを深めていきたいなと思っていて。

こないだ投稿させてもらったやつをですね、読み上げたいと思います。

男に媚び売るぶりっこ女。
調子に乗った痛い奴。
人を見下す傲慢野郎。
ヒトラーみたいな独裁者。
ちびまる子ちゃんの藤木みたいな卑怯者。
全部、金、金、守銭奴人間。
傍若無人なひどい奴。
冷酷傲慢独裁者。
許せない、許せない。
そんな人間、許せない。
私はそんなんじゃない。
私は調和を図れる人間だ。
みんなに合わせて、みんなの気分が悪くならないように、私は誰よりも調和してる。
見せかけはね。
心の中では批判の嵐。
ありえない、許せない、信じられない。
私は善良、私は純粋、そう思い込みたいだけだ。
そんな部分、自分にはない。
そう言い切ることこそ、無知なんだ。
自分のことを全然わかっていない。
綺麗な部分だけを見ようとするな。
傲慢そのものの人なんていない。
冷酷そのものの人なんていない。
独裁的そのものの人なんていない。
純粋そのものの人なんていない。
善良そのものの人なんていない。
傲慢、冷酷、独裁的、純粋、善良。
存在とは、それら全部を持ち合わせているものだ。
誰もが持っているもの。
否定して認めたくないものが、他人を通して現れる。
その人は私、その人は私。
その人は私のかけら、鏡に写る私の一部。
そんなこともつゆ知らず、せっせと私は批判に走る。
自分の中で批判して我慢した部分は、いずれモンスターのように暴れ出す。
どんな資質を持っていたって、存在に傷はつかない。
真っ直ぐに自分を見よう。
しっかり自分を知ろう。
その部分、認めてしまったら酷い人間になってしまう。
その逆なんだよ。
認めた時に、自分も他人も許せる、心の平和に辿り着くんだ。

これをね、2日前ぐらいに投稿したんですよね。

やっぱり、広い心でありたいとか、そういう人間じゃなきゃいけないっていう思い込みと、他人を受け入れましょう、みたいな教育の価値観。

他人を許しましょう、みたいなのって、キリスト教とかであったっけ?
なんか聞いたことあるな、どこかで。
それがさ、蔓延してるからこうなるんだな、と思ったんよ。


人のことなんて、許さなくていいんですよ。
自分のことを許してください
っていう、内容なんですよね。

隣人を愛す前に、自分のことを許可してなかったら、隣人も愛せないよね。

今日、しーちゃん(旺季志ずかさん)と喋ってて、しーちゃんの話をシェアさせてもらいます。
しーちゃんは私と仲が良い人で、私は普通に挨拶とかするし変なことはしないけど、たぶん一般常識からしたら、無礼者の極みみたいな人なんですよね。
傍若無人というか。

しーちゃんもそんな私と仲が良いし、ピンクの髪しているぐらいですから、礼節を重んじてみたいなタイプではないのに、けっこう昔ながらの考えを持ってて、それを頑張ってやるんですね。

だから、そういうことをやってくる人がシーズンごとに現れてるんですよ。
毎回腹を立てる前に、「自分がどんな悪いことをしてしまったんだろう」って自分責めに入ってたんだけど。
しーちゃん、そうじゃない、と。

自分が本当はやりたくもない礼節的なものを我慢してめっちゃやってるから、その無礼者みたいな感じの対応をとってくる人が、シーズンごとに出てくるっていう。

だから、自分を変えなくていいし、他人のことも許さなくていいし、嫌いでいいんですよ。
自分のその、無礼者の部分を許しちゃうっていうことね。
許しちゃうっていうことですよ。

我慢して無理してやっている部分があるから、それを人が目の前でやってくる。
自分に対して。

「てめぇー!」みたいになっちゃうね、やっぱり。
だって我慢して頑張ってんだから、こっちは。

でも、もしその部分を自分が許せてたらどうですか?って言ったら、気にならなくなるか、目の前からその人いなくなるか、どっちかの現象が起きます。

でもそれを、例えばしーちゃんみたいに「相手は悪気はない」とかね、あとは、連絡もなしでそんなことするのかっていう出来事でも、「それを嫌っちゃダメ」「いいところもあったし」「色々やってくれたし」「自分が何か優しくできなかったのが悪かったんじゃないか」とか思っちゃうと、まためっちゃ気分悪くなるよね。

だからまずは、「嫌だ」「そんなことされたらムカつく」「あの人もありえない、嫌い」っていう反応的なものを、ちゃんと自分で認めること。
でも、そこのもう一歩先に、自分を知るかけらを絶対に見つけられるから。
それは、自分のためにやるんですよ。

「私は何がそんなに気に入らないと思ってんだろう?」「そこまで反応を起こすのは何でだろう?」「よくこういうタイプの人が出てくるってことは、自分に何か我慢させているわけだから、本当の自分をこのタイミングで見つけれるな」って。
「そいつの何が嫌いなんだろう?」みたいな。

「なんでこんな失礼な、無礼者みたいなことしてくるの!」って、「相手を嫌いでいい」って思ってもモヤモヤするのは何でかっていったら、その「無礼者が嫌い」っていうのって、「自分の事が嫌い」って言ってるのと一緒のことだから。

結局自分のことを嫌いなままだから、モヤモヤしてるんですよね。
だいたい似たようなタイプが、名前とキャラと人柄変えて人生に現れてる
はずなんですよね。

っていうか、そういう人が目についているはず。
自分のかけらだから。
気になってるから。

この状態で「他人を許せ」って無理やろ。
絶対に許せなくない?

だって自分のことも、そもそもまだ許可が出てないのに、その自分の我慢していることをやっている人を許そうとか、絶対無理やろ。

毎回、職場を変えても現れてた。

そうだよね、そうだよね。
現れるんですよ。
ていうか、現せているんです、自分でね。
だから、その人のことを考えるとムカつくことになっちゃうと思うんだけど、それは一旦置いといて。

例えば「え、私、自慢コキでも良かったの?」とか、「何も気にせず、そういうことやっちゃっても良かったんだ」っていう風に、自分の方に矢印が向いた途端に、その人が頭の中から消えて、新しい自分に出会えるきっかけになるんですよね。

でも「その人のことを許そう」とかその人について考えてたらずっと矢印がその人に向かってるから、たぶんずっと気分悪いと思う。

でしゃばりが嫌い。
でしゃばりたかったのか、自分。
ちょっと凹む…。

なんで?
そこが素敵に変えてしまえば良くないですか?
自分で。


そう、本当はね、自分ってそういう奴っていう。
それを、心の広い聖人君主みたいな、清く正しく明るく前向きにみたいなのをイメージしていると、一向に抜け出せないんですよね。

その人物像は申し訳ないけど、いないと思う。
そんなのに当てはまる人が。

だから、きつく当たっちゃってもいいんですよ。
自分が機嫌悪かったら、きつく当たっちゃっていいんです。
それを我慢してね、へつら笑わなくていいっていうか。

怒る人が嫌いで、よく現れる。

怒ってみてよ、自分から。
自ら怒ってみる。

やっちゃうと、許可が出ちゃうと昇華されちゃうから、意外に自分が思ってるような、へんちくりんな感じにならないんよ。
だって、我慢が爆発する方が火山噴火だもん。

だから、ちょっとやってみてください。
「いつも反応が起きるキャラの人」「こういうキャラが嫌い」っていうのを書き出して、その部分を組み合わせるんですね、自分の中で。

それが結局、自分が持っている素質。
そこに矢印書いて、「それが個性」「それが素敵」とかって、やってみてください。

そしたらね、我慢しなくていいわけですから。

不機嫌な人が嫌い。

一緒でした。
私ね、不機嫌な人がマジで嫌いだったんですよ。

不機嫌っていうか、無愛想な人がすっごい許せないっていうのをけっこういつも思ってたことに、ハッピーちゃんになってから気付いて。

例えば接客の人とか、自分がプランナーやってたのもあったんで、「もう、ありえへん!」みたいなことをよく思ってたんですよ、心の中で。
クレームは出さないんだけど、心の中でよくそんなこと思ってた。


海外に行って税関の人を見たときに、あの人たちってマジで笑わないじゃないですか。
いつもあれに怒られてるような感覚があったりして、すごい嫌な気分だった、毎回。

でも、気づいたんですよ。
「なんで私、こんな無愛想とか不機嫌な人に、こんなに毎回ビクッてなるんだろう?」みたいな。

そしたら結局自分がさ、笑いたくもないときにへつら笑ってることがすごい人生で多かったから、めっちゃ我慢してるから、そういう態度をとっている人が、なんかムカついてたんですよね。
「あ、私も笑うのやめよう」と思って。
「笑いたい時にだけ笑おう」って。

「ていうか、誰もそんなことダメって言ってないのに、なんで私こんなに一生懸命やってたんだろう?」って思ったら、まあ、みんなに好かれるためだったんだけど。

やめたら、何も気にならなくなったよね。
むしろ、「そのシーンでその不機嫌さ、マジですごい」みたいな、尊敬に変わっちゃったね。
いますよね、私と同じタイプの人。

最初は「嫌い」っていう感覚だと思う。
「ありえない」「信じられない」とか批判的なんだけど、それがもう一歩先に進むと、たぶん「羨ましい」っていう感覚に変わってくるときがくると思う。

それを自分がやり始めると、先を行ってた大嫌いだったその先駆者に対して、拍手でも送りたいぐらい尊敬、みたいになる。

それに、自分がやり始めたら、あんまりそういう人が現れなくなりましたね。
でも自分にダメ出ししてイライラしたりとかすると、やっぱりいきなりそういう人が出てきたりとかする。

目の前に。

ぶりっ子も大嫌いだったんですよ。
「何なん!?」みたいな。

2個目の会社でマネージャーみたいなことをやったことがあって、男といかに戦って仕事するか、みたいな感じの場所で働いたことがあったから。
「猫撫で声出してんじゃねーよ」とかって、すっごいムカついてたの、そういう人に。
そういうタイプだったんですけど。

実際そういう事を考えてたら、私、人にお願いするときにすごい猫撫で声になるっていう。
それをナチュラルにやってしまうっていう、タイプだったんですね。

しかも、自分がぶりっ子だっていう認識はなかったんですよ。
そうなの?みたいな。
これ普通なんだけど、みたいな。

たぶんそれを「ダメ」ってやって変なふうにこじれてたから、ぶりっ子の人たちを見てムカついてただけだったね。

ということなので、「他人を許そう」という価値観から抜けましょう。
許すのは、まず自分です。

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