【ハッピーちゃん】夢が叶った場所でも恐れは出る

HAPPYさんこと、竹腰紗智(前田紗智)さんがお話していた内容を文字起こししています。

心が苦しくなった時や辛い現実を変えたいと思った時に、スッと気持ちが楽になると思いますので、ぜひ読んでみてくださいね。

今回は、2020年1月27日のお話し内容です。

この記事の内容は、HAPPYさんの愛の計らいによって著作権フリーとなっているため、共有させて頂いております。

目次

【ハッピーちゃん】夢が叶った場所でも恐れは出る

こないだ私、レコーディングしたんですよね。
かなりガチな、レコーディングスタジオだったんですよ。
撮ってもらったところが。
用意してもらったところが。

びっくりするぐらい、今まで行ったスタジオ中で一番立派なスタジオを抑えられてて。
なんかこう、私の大好きなNissyとかがPVとかで歌っている、レコーディングルームと全く同じような風景の場所だったんですよね。

それでね、エンジニアさんもディレクションしてくれる人もプロばっかりです、と。
相変わらず私は、「音程合いません」という状態で行くわけですよ。

そうするとさ、こういう時に潜んでいるんですよ。
恐れの構造がね。


いや、瞑想だったら自信ありますよ。
瞑想とか、その瞑想の言葉を朗読するとか、そういうのは自信あるけど。
歌とか全然、自信ないわけですよ。

1人レコーディング室に入れられて、ディレクションとエンジニアさんが話聞こえないところにいて、「1回サラッと歌ってください」みたいな。
それでさ、反応が返ってくるわけよね。

でさ、めっちゃ上手く歌える人なんやったらさ、感動させられるレベルでね。
けど残念ながら、私はそうじゃないんですよね。

どう思われてるかもわからないわけ。
その、何喋ってるかも聞こえないから。
こっち側から。

だって、こっち一人なわけよね。
怖いでしょ?

完全にずれてるんよ。
「1回スルッと歌ってください」ってなって、歌いました。
自分で聞きます。
もう、めちゃくちゃ音外れたりするわけよ。


それでさ、「良いですね」も、やっぱり言えないわけよね。
その人たちも。
「この人、若干可哀想だな」ぐらいですよね。

私が上手かったら、「良いですね」とかって言えるけどさ。
孤独感ですよ。
これ、辛いでしょう?

悪く言われているって、絶対想像してしまう。

いや、私もしましたよ。
しかも、初めて組む人だからさ。

なんていうの、意気込んでさ、頼みに行ったわけじゃん。
「曲作ってください!」みたいな。

それでさ、「どんなもんかい」って思って蓋を開けたら、「お前かよ!」みたいに思われてんじゃないかって、やっぱり思うじゃん、普通に。

自信ある人が行くでしょ、だって、歌とかさ。
「曲作ってください、歌いたいです!」とかってさ、「え、お前かよ」みたいな。

思われてんじゃないのかなって、やっぱり出てくるわけ。
妄想が、それこそ。
恐れからね。

やっぱり一瞬、足元ぐらってなるんよ。
こういう時に。

「もう歌えないなぁ」みたいな。
「恥ずかしくて歌えないな」という気持ちと、あと本当に一瞬だけど、「わぁ〜、あの時声かけて嬉しかったけど…、この状況?」みたいな。
なんか妄想がそれこそ一瞬にして、うわぁ〜ってなるわけよね。


ただ、もう知ってるから、私は。
こんな時こそ、チャーンス!
ビッグチャンスなわけですよ。


だからまず自分の、無駄に喋ってる言葉を発見したんですよ。
何かって言ったら、きっとバカにされてるだろうから、こっちからおちゃらけよう、みたいな。

これ、恐れからなんですよね。
もうバカにされる前に、こっちからバカなタッチでいけばいい、みたいな。

「本当に私、歌下手なんで、どーのこーの」みたいな言い訳がましいことを、やたら喋り出しちゃってるんですよね。

自分をなんかこう、低いところに持っていって緩和させよう、みたいな。
これをね、まず気づいてやめました。

なんか無駄にね、「あ、私、歌下手なんで、歌えないんで」とか、やたらめったら、なんかもう、別に喋りたくもないのに無駄なことをプレゼンするのを、やめようと思って。
それ、完全に私の恐れからなんで。

馬鹿にされるんだったら別に馬鹿にされていいし。
それに、その人たちそんな人じゃないのに。
なんで私そんな、この人たちが悪い人間みたいに見てるんだろう
って。

だから黙りました、まず。
最初に入ってから口走ってたそれを、やめましたね。

「私は私の歌を貫こう」と思って、それこそ私は、ドレミっていう感覚で歌を歌うのが今回初めてだったから、「私がドレミ」でいこうって。
前のレコーディングの時は思えてなかったから、今回はもう、「私がドレミでいいんだ」みたいな。

外れてても、私は「この歌が私の歌だから」って思って、もうとにかく「堂々といよう」って。
下手に自分のことを低く見積もって、相手にプレゼンして、「馬鹿にされてるの分かってますよ」「私も自分のこと、ちゃんとわかってますから」みたいな、なんだか余計なことを口にするのをやめようと思って。

黙って堂々と、歌詞の感情にフォーカスして立ってみようって。
そしたら今までは、「歌詞を間違えないように」とか「これって音程合ってるかな」とか。
「仮歌の人の音程と合ってるかな」とか、ちょっとやっぱりそういう 擦り合わせ意識みたいなのがあったんですけど。

とにかくもう、自分の音程のまま、「歌詞を噛み締めて歌ってみよう」ってやったら、自然になんかこう、自分の歌ってる部屋の風景とか、完全にもうカメラに写っちゃって、向こうに見られてるんですけど。

自然に初めてね、目つぶって歌ってたんですよね。
しかも、過去の瞑想の本の録音したときもそうだったんですけど、「過去の自分に届けてみよう」と思って。

一番苦しかった時の過去の自分で、特に今回は「たった一人でここに立つ」っていう、「ステージに一人で立ったときにすべて思い出す、このままでよかったんだ」っていう、そういう歌詞だったから。

なんか本当に、その歌っている状況もたった一人で、歌も上手くないのにレコーディングして、見られてるけど。
でもこの状況で「過去の自分に届けてみよう」と思ったら、自然に目つぶって何にも気にせずに歌ってたんですよね。

そしたらやっぱり歌詞も大間違いするし、見てないから。
なんだけど、すごいね、楽しくできたんですよ。

そしたら、1人事務所の人にロボットみたいな人がいて、なんかまぁその人の個性なんだけど。
すごいスパッと切れ味のある、どっちかっていうと冷酷みたいな風に見られる人なんだけど。
その人が「あー、なんかもっとちょっといける気がします」みたいに言って。

目つぶってうわ〜って歌った後に、ちょっと我に帰るんよ。
「どうだったかな」みたいな。
向こうからその声が来るから、反応が。

その時に「ええやん」って、そのロボットみたいな人が一言つぶやいてくれて、「嘘!マジ?!」みたいになって。
それで「よし、このままやろう!」ってなって。

目をつぶって過去の自分に届ける、みたいな。
歌詞を何回も間違えて「すいません、もう一度お願いします」って、何回もやり直したりとかして。

「もっといけますね」「もっといけますね」の繰り返しで、たまにガツってハマった、気持ちいい感覚が、歌を歌ってて初めて起きて。
その時にやっぱり「ええやん」っていう反応があるっていう。

すごいね、嬉しかったですね。
だからこれも、恐れだったんです。
そこのレコーディングの場所で住みついてたのは。

やっぱり、恐れの魔王がやっぱりそこにもいた。
いたけど、いつでもどこでもきっといるから、それは。

その時に、「何を感じてどう対応していこうかな」っていうのをしたらいいと思う。
私もいつも、こうやってやってますね。

だって、すごい素敵なバンドを見つけて、私のために書き下ろしてくれて、曲を作ってもらって。
すっごい夢叶ってるじゃないですか。

でも実際、その場所に立ったときにやっぱり出てくる。
叶ったけど、恐れがこうやって出てくるわけですよね。

その恐れに飲まれたままだったら、せっかくそんな嬉しい出来事が起きて、夢を叶えた場所に立っても、つまらなくなってしまうね。
でもその恐れの魔王は、どこにでも存在するから。

どう付き合っていくかっていう、その場所で。
私はこのひっくり返る瞬間が、すごい嬉しいんですよね。

まず私の場合は、今回は黙りましたね。
自分を低く見積もる、その言葉たちを並べ立てるのをやめて黙ろう、と。
余計な無駄口を叩くのはやめよう、と。

そして、「音程合ってるかな」「仮歌の人の歌の感じに寄せれてるかな」っていう、この意識も捨てて。
とにかく何をどう思われようと、堂々と一回、「感情にフォーカスして歌ってみよう」てやったら、もう完全ひっくり返った、自分の中で。
「楽しかった!」みたいな感じで終われました。

そう思ったらね、この話を踏まえてですよ。
例えば私が、2つの動画と自撮りの、3本立てでインスタに載せました。
「新曲できました!レコーディング行ってきました」って、投稿するとするじゃないですか。

内容も「レコーディング行ってきました」「新曲できました」だったらさ、こんなことを感じてるなんて、わからないじゃないですか。

結局何が言いたいかというと、インスタっていうのは見えているものにしか、みんな意識を向けてないものなんですよ。

だからこれを見て「へえ〜」っていう反応とか、「レコーディングだったんだ」とか、「ハッピーちゃんの新曲楽しみだな」っていうのとか、こういうことをやりたいと思っている人は「いいな、私もやりたいな」もしくは、「なんであんな歌の下手な奴が、こんな事してるんだ」とか、まぁいろんな反応があると思うんだけど。

どれにしろ、見えているものに対しての反応ですよね、結局は。
だから、その切り取られたものの奥に「その人は何を感じているんだろう」と、私は見るようにしてるんです、いつも。

投稿されているものとか、発信されているものの奥に、「この人は一体どんな思いで、何を感じているんだろう」っていう、見えないところにフォーカスをすれば、「その人だって私と同じだ」っていうところに行き着くと思う。

みんなキラキラ、リア充で、「私、全然ダメ」みたいになりがち。

なりがちでしょ?
見えてるもので判断するからですよ、それ。

切り取ったその奥に、その人の何か、感じでいるものがあるはずなんですよね。
私みたいに、この「レコーディングはやらない」という人だったら、今回何も思わないかもしれないけど。


私の場合は「レコーディングしてきました、新曲できました」って投稿しても、嘘じゃないじゃないですか。
そうなんだけど、でも、もっと奥にこの、「たった一人で凄まじいレコーディング室で、プロに囲まれて音程ずらしながら、一人で歌わなきゃいけなくて」とか「一瞬、なんでこんなこと、頼んじゃったんだろう」って思った事とかがあるんですよ。

別に出してる人たちは、それを嘘ついてるわけでも取り繕ってるわけでもなく、私だって別に、「キラキラしたところを見せよう」とか、そういう気持ちはないわけですよね。
ただ普通に、報告で載せてるだけで。

でもその奥の、そこの場所で感じていることっていうのは、わざわざみんなシェアしないし、隠してるわけじゃないけど、書く人はあまりいないわけですよね。

だから必要なのは、その人の奥。
そこにフォーカスしたら、「あ、なんだ、自分と全然変わらない」って思う。

感じることなんて、そんな大差ないから。

奥はどうやって感じるの?

例えば私だったら、安室ちゃんを見るときにそうなってましたね。
最初は、見えてる華々しいものとかスタイルとか、そういうものにばっかり目がいってたんだけど、こういう頭の中の事を知って。

「彼女はどんなことを感じながら、そこに立ってるんだろう」って見始めたら、実際そう思ってるかどうかわからないけど、でも感情的なものが、自分の中にも片鱗は見えるっていうか。

一人であそこに立つ恐れとか、ないはずないじゃないですか。
そう思ったら、私も彼女も、全然レベルが違うかもしれないけど、同じように恐れを抱いたり、いろんな人の反応がやっぱり気になるところで戦っていたりとか、そういうことがあるんだなって。

それがわかった時に、なんか「みんな人間じゃん?」って。
意識したら見えてくると思う、その人の奥が。

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