HAPPYさんこと、竹腰紗智(前田紗智)さんがお話していた内容を文字起こししています。
心が苦しくなった時やつらい現実を変えたいと思った時に、スッと気持ちが楽になると思いますので、ぜひ読んでみてくださいね。
今回は、2020年1月24日のお話し内容です。
この記事の内容は、HAPPYさんの愛の計らいによって著作権フリーとなっているため、共有させて頂いております。
【ハッピーちゃん】欲に溺れることなく欲まみれに生きる、ゾルバザブッダ
抵抗を手放すっていうことをしていくと、自分の意識の表れに、多分すごく喜びが出てくるだろうし、それが叶ったら嬉しいけど、そこまでの執着が湧かないというか。
「だったらすごいな」っていう、もちろんこの期待はあるけど。
怨念めいたものまでには行かなくなる。
勝手にね。
頭の中はですね、ゾルバザブッダですね。
ゾルバザブッダ。
Oshoの言葉なんですけど。
この意識の表れが現実であるっていうことを知った時に、やっぱりちょっと陥りそうになったのが、「だったら、現実どうでもいいじゃん症候群」ね。
それこそ自分の中だけで完結していれば、別によくない?みたいな。
やらないけどさ、山の中にこもって、なんか一人で意識について考える、みたいな。
でも今ね、実際、社会というフィールド、現実というフィールドで生きている自分がいて。
あくまでこのフィールドを楽しむために、この内容はあるはずだって。
私は今、それを知り得たんだって、思ったから。
しーちゃん(旺季志ずかさん)から、そのOshoのゾルバザブッダの話を聞いて、「あ、私、その生き方しよう」って思ったんですよ。
ゾルバザブッダについて、詳しくご説明します。
ゾルバザブッタというのは、ゾルバのように地に足つけて人生を豊かに、情熱的に生きるという側面と、ブッダのように天とつながってスピリチュアルに生きる側面の、両方を併せ持つ人間ということです。
Osho
自分で言っちゃうけど、私、今、この状態で生きてますね。
現実っていうのも大事に、人生を豊かに、情熱的に生きる側面と、ブッダのように天とつながって、ソースとつながって、スピリチュアルに生きることの、両方を併せ持つ人間。
私のディスコ、私のレストランは、ゾルバザブッダと呼ばれる。
Osho
まず第一に、私はゾルバであり、それから私はブッダ。
覚えておくがいい。
2つのうちのどちらかを選ばなければならないとしたら、私はブッダではなく、ゾルバを選ぶ。
なぜなら、ゾルバはいつでもブッダになれるが、ブッダは自らの崇高さに縛られるようになるからだ。
彼には、ディスコに行ってゾルバになることはできない。
そして私にとって、自由には最高の価値がある。
自由以上に、大切で貴重なものは何もない。
Oshoの言葉なんですけど、ゾルバっていうのは、なんかこう、この世俗的な世界を欲の限り生きた。
情熱的に。
もうそれこそ、欲まみれ、みたいな感じです。
欲まみれで生きて、欲に溺れたっていうゾルバがいる。
欲まみれでいいんだけど、そのゾルバにブッダの資質を併せ持ったら。
きちんと内なる存在、自分とつながって、天と内なる神とつながってっていう、生きる側面があれば最強だという。
このOshoの話。
私これ、すごい大好きで。
今、私は、そのソースとつながりながら、欲まみれで生きるっていう。
そうすると、欲に溺れることはないですね。
何が一番大事かわかっているんで。
そして、Oshoが言及しているのが、ゾルバかブッダが選べって言われたら、ゾルバになれ、と。
ブッダは危険だ、と。
ブッダに振り切るのは危険だって。
私もそれを、やりそうになったんよ。
山で洞窟で「崇高さ」を求める、みたいな。
そっちに振り切ると、結局、世俗的な欲の方に振りきれなくなる。
楽しみがなくなるから。
3次元の。
ゾルバはいつでもブッダになれる。
でもブッダは、自分の崇高さに縛られて、ゾルバになることができない。
ブッダには、ディスコに行ってゾルバになり得ることができないっていうを、見解してるよね。
一番大事なのは自由だ、と。
自由が最高。
選べて自由で。
それ以上に大切で、貴重なものはない、と。
めっちゃエンタメやってるやん、私。
ディスコとかって。
すごい格好で、サタデーナイトビクトリアとかやってましたよ。
ゾルバの極みですね。
だからね、ゾルバであり、ブッダでありたいって思ってます。
3次元を。
欲の限り生きて、そして、ソースとつながるブッダでありたい。
なのでこれからも、エンタメやって、服作って、化粧品立ち上げてっていう、ゾルバの側面をやります。
でも、そっちにばかりフォーカスして、ずーっと動き続けると、ブッダの側面を忘れてしまうから。
あくまで大事なのは、自分の内なるソースとの同調ですね。