【ハッピーちゃん】辿り着きたい症候群…全ては未完成のまま拡大し続ける

HAPPYさんこと、竹腰紗智(前田紗智)さんがお話していた内容を文字起こししています。

心が苦しくなった時やつらい現実を変えたいと思った時に、スッと気持ちが楽になると思いますので、ぜひ読んでみてくださいね。

この記事の内容は、HAPPYさんの愛の計らいによって著作権フリーとなっているため、共有させて頂いております。

目次

【ハッピーちゃん】辿り着きたい症候群…全ては未完成のまま拡大し続ける

行動するときこそ、ベローンの状態を頭の中に持ってくるって言ってたんですけど、ベローンって、問題が起きた時とか、ハッピーちゃんは実際にどうやってしてるのですか?

さっき、リアルで200人近くで座って呼吸してたじゃないですか。
音楽聴きながら。
あの時どういう感覚でした?

すごい気持ち良かったです。

そうですよね!
人がいっぱいいるのに、すごいリラックスして。
なんかよくわかんないけど、「いいなぁ〜」みたいな感じにはなりませんでした?

はい、なりました。

それそれ!
これなんですね。
それが今、私の意識にあります。
感覚的に。

えっ、今もあるんですか?

うん。
人の前に立ってるけど。
その感覚はある。

あの感覚だったら、すごい動ける。
あの感覚でずっと座ってたら、けっこう暇じゃない?
そう思いません?

すごい落ち着くから、何かできる気がします。

だから、感覚はわかってるんですよね。
他人がいるんだけど、「なんか同じ空気吸ってるな〜」みたいな。

だって、誰のことも何もわかんないじゃん。
どこに住んでて、どんな人でとか、わからない状態でしょ?
ただ、「一緒の空間にいるね〜」みたいな感じですよね。
年齢も知らないし。

本当の感覚はそこにあるんですよ、みんな。
自分っていう感覚はもちろんあるし、他人がいるのも認識してるし。


だけど、例えばテストの時とか、こういうのが如実に出るじゃん。
あの人は何点で、自分の順位がここで、とか、容姿とかも、色濃くそういうのが振り分けられるシーンの時って、すっごい窮屈感を感じませんか?

あの人とこの人は違うとか、私はこの点数でこの順位だとか。
それが、さっきの状態だと、薄くなるじゃないですか。

誰が何なんだか、何歳なんだか、何やってる人なんだか、どこに住んでるとかもよくわかんないけど、「こんにちは」みたいな。
それが安堵感。

それが、また例え話に戻すと、テストの順位とかあーだこーだとかって言って、自分をランク分けして、胸がグーってなってる時って、境界線がすごい引かれてるから。
他人と。


そこに向かって「動かなきゃいけない」ってやると、恐れと不安を乗っけながら、子泣き爺スタイルになっちゃう。
重たい荷物を背負いながら、苦しみながら動かないといけない。
それだと動きたくないじゃん。
馬力出せば頑張れるかもしれないけど、石を乗せながら人ってあまり動きたくないですよね。

でもさっきの、なんかよくわからないけど「こんにちは」みたいな状態だと、「やりたいことやろうかな」っていう感じになってくる。

「さっきやってたことって何ですか?」って言ったら、目つぶって呼吸するだけじゃないですか。
そうでしょ?
なので私は、これが明確にもう分かってる人です。
だから、明確にこの起きるメカニズムがすごくよく理解してるんです。

例えば、この間のマルシェで思ったよりもなんかすぐ売れちゃって、キャンセル待ちがめっちゃ出て。
あれ?!みたいな。
「こんなに多いはずなかったのに、どうしよう」ってなって。

そこの会場のホテルに行こうと思って、急いでタクシーに乗って。
向かってる最中は「やばい!どうしよう」みたいになりますよ。

で、その時に、気づく意識がもう1個あることを私は理解してるんですよ。
それに気づく意識があるんですよ。

「問題だとまた思い始めたぞ」っていう時、タクシーに乗ってると急ってくるんよ。
気が上がってきて、「やばい、やばい、やばい、やばい」って、頭に上がってくるじゃん。
そういう時は、だいたい頭で考えてますよね。
その時に、気づく意識があるんですよ。

だからどうするかっていったら、「お腹に意識をおいて呼吸しよう」って。
新しく王女様戦法を私は見つけたので、もっとやりやすくなった。

そうすると我に返るっていうか、その後にさっきの感覚になります。
「何がどうなっても、なんか大丈夫じゃん」みたいな。
そんな感じで動くから、リラックスして動ける。
そんな感じです。

自分が主催したイベントで、開催前にはもっと盛り上がって展開していくってイメージだったのですが。
実際にやってみると、自分のやりたいところまでいけなかった、もっとこうしたかったっていう気持ちになります。

あー、辿り着きたい症候群ですね。
これ、けっこう陥ってる人が多い気がする。

完成しないから。
いつまで経っても、基本的に。
そのことがわかっていると、楽しめる
と思います。

私今まで、イベントやってきたけど、完成したことがない。
やっぱり何が起きるかというと、「次もっとこうしよう」とかっていう、ブラッシュアップですね。

これはいつも、宇宙の流れがそうなのよ。
未完了なまま拡大してるっていうのが、もう宇宙の流れなんですよ。
死んでも完成しない、これは。

広がり続けるっていう、普遍的で変えられない、抗えないものなんですよ、我々は誰も。
大きな生命の流れは、未完了のまま拡大してるんですね。


だから人間的にやるちっちゃいこと、いろいろあるじゃないですか。
いつだって未完了。

でも、それが自然な状態なんだっていうことが理解できていれば、いつだって未完了だから、未完了のままこの場所を楽しめばいいっていう。
完成形の正解っていうのがないのよ、本当に。

それこそ、幸せっていうものは決まりきった形があるって、ちょっと前まで思い込んでませんでした?
でも、何に幸せを感じるかなんて人それぞれであって、わからないじゃないですか。
固まったものがない。

それを目指して形ある幸せに向かってたら、いつまで経っても幸せを感じれないじゃないですか。
完成した正解のものがあると思って進んでいくと、同じ現象がおきますね。

味わうことを忘れてしまう。

味わうと、思ってもいなかったことで面白いことが起こったりして、気づいてキャッチしやすくなるっていうことでしょうか。

そう、感度が高くなるって感じ。
「こうだったらいいなー」っていうものより、多分今は、「あそこのゴールに向かって、あの形にハマっていくんだ!」みたいな感じで走ってるから、ハマらなくていつもガクってなる。
これだと、いつまで経ってもハマらないから。
永遠に続くので。


もうこれ、完全に正解のゴールはないから。
辿り着かない、いつまで経っても。

私もね、これやり始めの時に思ってた。
なんかどっかで悟りっていうゴールがあるんだろうと思って、それで楽しくやってたんだけど、ある時に気づきましたね。

「あ、これもう、やってる最中がもう楽しいのであって、いつまでも完成しないんだ」って。
そうしたら、やっぱりこう、力が抜けましたね。

だって、早く行きたいじゃん。
こうやってると。
早く正解のその扉の向こうに行きたくて行きたくてって、やってる最中苦しいみたいな。

結局、扉開けたと思って次の世界に入ってみたら、あれ?同じように苦しい、みたいな。
で、また新しい扉を見つけたからそっちに行って飛び込んだら、また幸せになれるとか何かあるのかなと思ったら、あれ?まだ何もない、みたいな。

例えば、スペインに行きたいって思って、パスポートとってガイドブック見て、サクラダファミリア見に行こうってなってて。
スーツケースにパッキングして、飛行機の日程とか、色々ワクワクしてやって、行って、味わって、「あー楽しかった」って、帰ってくるのが旅じゃないですか。

今は、「スペイン行こう」「帰ってこよう」みたいな。
わかる?
そんな感じになってる、今。
え、だったら行かなくてよくない?みたいな。

なんか、スペインを経由することが目的みたいになっちゃってるっていうか。
だったら、最初から家にいればいいじゃんっていうね。

何でスペインに行きたいかっていったら、その旅の途中を楽しむわけじゃん。
旅を楽しむために行ってるわけじゃん。
でも、自分でスペインに行くって決めてやってるのに、「早く家に帰りたい!」みたいになってる。

この人生だってそうですよ。
自分で決めてきて、選んでここに来て。
死っていう、終わりのゴールがある
わけじゃないですか。

最初から生まれなきゃいいじゃん。
究極のところを言うと。
そう思いません?

どうせ帰ってくるんでしょ。
どうせ帰ってくるんだったら、スペイン行かなくていいじゃん。
っていう、原理と全く一緒なんですよね。

なんでわざわざそれをするのかって言ったら、楽しいし、興味があるからそこに行ってみたい、やってみたい、体験してみたい。
それと、全く一緒のことですね。

特になんかこう、実績を出そうとかっていう事柄に対しては、けっこうそれが働きがちなのかなって思います。
何か集客とかね、イベントとかね、自分で告知してやるものに関しては、なんかゴール的なものをがあって、そこに辿り着こう、みたいな。
グって力が入りやすいけど。

今もスペインの旅だと思ってもらったら。
そもそも、何でやりたかったんだっけ?っていう。

私がこれだけ多い人数の人を相手に、リラックスがなぜできるかというと、「逃げれる、やめれる、決められる、選べる」っていう逃げ場所が、いつもちゃんと頭の中にあるからですね。

最悪、本当に体がきつくなって耐え切れなくなったら。
みんなの期待にね。
私の体を大事にすること以上に、大切なことは何もないわけですよね。

だから、「謝って返金してやめよう」とかってやっておくと、もうその時点で自由になって。
「やりきらなきゃ」がなくなるんで、結局力が抜けてリラックスするから、「ちょっと待って、やるから!」みたいになっちゃうわけよね。

そういうものがパラドックスですよね。
「やりなさい」って言われるとやりたくないけど「やらなくていいよ、ゆっくりしなよ」とかって言われると「出かけたい」ってなりますね。

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