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【ハッピーちゃん】今のフィルムは二度とない!1秒前の自分は他人

HAPPYさんこと、竹腰紗智(前田紗智)さんがお話していた内容を文字起こししています。

HAPPYさんは、2014年からエイブラハムの引き寄せの法則を自らの人生で実験し、自分を生きることの大切さを伝え続けています。

壮絶な生い立ちやいじめられた経験などで自分に自信のない状態から、どうやって満たされた人生に変わっていったのか、詳しく具体的にシェアしてくれています。

出版されている本を読むと、さらに具体的な実践方法を知ることができますよ!

今回は、2020年6月15日のお話し内容です。

この記事の内容は、HAPPYさんの愛の計らいによって著作権フリーとなっているため、共有させて頂いております。

目次

【ハッピーちゃん】今のフィルムは二度とない!1秒前の自分は他人

今私が体系立ててる最新の内容の中で、これは本当に人類を救うと思ってるから。
このエゴキンマンについてね。

やっぱりお母さんとの関係性を物理的に良くしようと思っても、難しかったりするわけよね。
それで解決できればいいんだけど、私みたいにすごい複雑極まりなく拗れてる人もいる。

一概にお母さんに文句言ったり、「今までごめんね」って謝って済む問題じゃないところにいる人も多いわけですよ。
そういう人が心理的なトラウマとか、そういうものを解決できないのかってなるけど。

いや、そもそも母親の意見を取り入れる選択をしたのは、あくまで自分で。
その意見を採用して、第2のお母さんを頭の中でせっせと育てたのは自分自身だから。

リアルな母親との関係を解消するのではなくて、頭の中で育て上げたお母さんとの関係性を何とかしていきましょうねっていう。
それが名前を変えた、エゴキンマンっていう存在なわけじゃん。

頭の中の自分で育て上げた、第2の母親とのこの関係。
っていうかこのお母さんの声を小さくすることができれば、べつにリアルなお母さんとの関係がどうだろうと、心の中では勝手に母親に対して感謝が芽生えるから。

べつにハグとか「愛してるー」とかやらなくても、自分の中でもう解決になってるんですよね。
第2の母親を作り出したのも自分だし、それを大切に育て上げても自分だから。

だからその親の声を鎮めさせることができるのも、自分自身っていうね。
リアルの母親との関係をってなった時に、つまずく。

私もその概念で生きてたら、つまずいてるよ。
だって実際の母親と今「ありがとうー」ハグとかって、どう考えても行けない場所なんだよね。

じゃあそれをやらない限り幸せになれないんだったら、もう問題が大きくなっていくばかりで。
本当にリアル母との関係を、やり直すのは無理。

そこにいる人、私と似たタイプの人は結構多いと思う。
そういう人が、母親との関係性を直すっていうところにフォーカスして動き出そうとすると、マジできつくなる。

私は父親だな。

母親の声だったり父親の声だったり、先生の声だったり、社会的な権威ある誰かだったり。
その存在は、いろんな複合的なものでもあるよね。

まあでも、母親の人が多いんじゃないかなって。
自分の頭の中の戦争を終わらせよう。

ブッダの幸せの瞑想

1人で生きるブッダは、何千人もの弟子たちに囲まれていました。
僧や海女たちに混じって、歩き、座り、食事をしましたが、自分自身は常にその沈黙の中にいました。
1人で生きるより、良き道の教えという経典があります。
1人で生きるというのは周りに誰もいないことではなく、今ここにしっかりと存在を確立し、この瞬間に起きる全てに気づいていることです。
マインドフルネスのエネルギーを使って、自分の中の1つ1つの感情や認識を自覚し、周りで起きていることに気づき、常に自分と共にあって自分を見失わない。
それが、人生を1人で生きる道の理想です。
ブッダによる実践の定義は、過去に捉われず、未来にさらわれず、群集に飲まれず、心身を1つにし、いつでもそこにしっかりと存在し、その瞬間に起きていることに気づいているということです。
1人で生きる能力がない人は、どんどん貧しくなります。
自分自身に栄養が行き渡っていなければ、他に多くを与えることはできません。
1人で生きるのを学ぶことは、重要です。
毎日いくらかの時間を、物理的に1人になるために確保しましょう。
そうすれば、自分を豊かに養い、物事を深く見つめる実践がしやすくなります。
1人で生きるとは、山の上に隠れることでも森の廬に引きこもることでもなく、文明から逃避することでもありません。
それは、群衆の中でも我を忘れず、過去の悲しみ、未来の不安、現在の工夫に飲み込まれない、安定した心によって可能になります。
私たちは自分を見失いません。
マインドフルネスを失いません。
マインドフルな呼吸を拠り所にし、今この時に戻ることは、私たち1人1人の内なる清く美しい島に避難することです。
周りに人がたくさんいたら、1人で深く見つめる実践ができないとは限りません。
スーパーで買い物をしていても、群衆に心が飲み込まれることなく1人になれるのです。
どんな時でも、自分は自分です。
グループで話し合っていて、そのグループ全体が感情的になったような時でも、自分は変わりません。
自分自身の島で落ち着いて、安らいでいればいいのです。

よく思ったことがあるんですよね。
今に逃げてるな、みたいな。

そんなこと思ったことない?


「今に逃げればいいか」って、よく思うことがあったんですよ。
ちょっと先のことを考えた時に。

今ならエゴキンマンって分かるんだけど。
不安になったり孤独を感じたり、大丈夫かなって恐れが出たり、そういう時に「あ、今に逃げればいいや」みたいなことを思ってたんですよね。

ある時から、そんなことを思わなくはなったんだけど。
今に逃げてるのって、いいのかなって。

でも、ここにも

私たち1人1人の、内なる清く美しい島に避難することです。

って書いてあるから。

まあ結局、言い回しは違うけどそういうことだよな、みたいな。
結局、今に逃げ込むのが一番だよなっていう。

今この瞬間っていうことです。
今この瞬間に留まるっていうことなのよ。

逃げるっていうか、避難してたんだなっていう。
今この瞬間っていうのは、いつだって安全な場所。

ソースは、今この瞬間だから。
未来とかに外れてる時は、不安だったり恐れの中にいるわけですよね。

だから、今この瞬間に逃げ込む、みたいな。
避難。

結局、幻想なんですよね。
エゴキンマンの幻想に、踊らされてるわけですよ。

でも深呼吸して今この瞬間に、ホームの中に入ってしまえば、深い安堵の中で落ち着けるわけですよね。
自分自身を取り戻せるわけですよ。

そうすると、これが今に気づけてるっていう、マインドフルネスって呼ばれる状態。
今この瞬間に気づけてる。


私、SNSを一度いきなりバツッとやめて、外との繋がりをなくして発信できないようにして。
先がもう何もない、何していいか分からない状態で。

あの時にすごくトレーニングされたんですよ、私。
最終仕上げだった。

今ここに意識を持ってきて、本当に今に気づいてるマインドフルネスの状態の最終仕上げは、あの時にさせてもらった感じがしていて。

ちょっとでも今この瞬間から外れたら、すぐに不安になれたんですよね。
「みんなに忘れられちゃう」「私この先何をしたらいいんだろう」って、得体の知れない恐怖で。

その時にいつも、今に避難してたんですよね。
深呼吸して「あ、真実じゃないものに耳を傾けようとして、私はまた眠りの中にいようとしてるから、今のこの瞬間に戻ろう」って。

15分タイマーをかけて瞑想するみたいなことを、あの時期すごいやったんですよ。
次の瞬間世界に何が起きるか分からないって実際になった時に、数年前の総仕上げのおかげで、あんまり今のこの場所から外れることがないんですよね。

次の瞬間はいつだって、何が起きるか分からないっていう。
今この瞬間っていうこの真実は、すごく私の心を楽にしてくれて。


何かっていうと1つは、人のことを恨んだり嫌いになることに、思いっきり許可が出せるようになったんですよね。
人のことを嫌ったり恨んだりすることに、やっぱり罪の意識が拭えない部分があって。

でも「あ、今この瞬間のフィルムしか、本当は存在してないんだ」っていうこの真実は、それを思いっきりさせてくれるようになったんですよ。

もう「今この瞬間は、思いっきり嫌おう」みたいな。
でも次のフィルムでは、どうなってるか分からない。

目の前の、本当に今この瞬間に気づけている今だけ、私は恨みの気持ちを抱いている。
私は誰々のことを、思いっきり憎んでる。
誰々のことを、思いっきり嫌ってるとか。

でも今までは、時間の直線上でずっとそれが続くみたいな概念の中に生きていたので、それができなかったんですよね。

「そんなことしたら可哀想」とか、自分自身もやっぱり「良い人でありたい」みたいな変な思いが湧いてきたりして。

でも今この瞬間だけ、今この瞬間のフィルムだけ、すごい嫌い。
でももしかしたら次の瞬間のフィルムも、嫌いなままかもしれない。

その次の2フィルムも嫌いなままかもしれないけど、いきなり3フィルム目になったら変わる可能性もある。
そんなの分からない。

って考えたら、「あ、だったら今この瞬間に留まって、私は思いっきり嫌ったり憎んだり恨んだりしよう」っていう、自分への許可がめちゃくちゃ出せたんですよね。

次の瞬間は、分からないんですよ。
次の瞬間は違うフィルムだから、変わるんですよ。

これでもう1つ私をすごい楽にしてくれたのは、性格的なものですね。
どうしても、いろんな部分に許可が出せない。

すぐ飽きるだったり、鈍臭いだったり。
そういうのも本当は、瞬間ごとに人は移り変わってるっていう。

だってフィルムが変わってるってことは、次のフィルムで同じフィルムではないから。
映画のフィルムだって、そうじゃん。

微妙に、全く一緒のフィルムってないわけじゃん。
ちょっと似たようなシーンでも、何となく移り変わってるから。

それが連続すると、動きになってるわけよね。
でも隣同士のフィルムを見たら、めちゃくちゃ似てるでしょ。

でも、全く一緒じゃないんよね。
それって今の私っていう存在も一緒で、微妙に毎フィルム、毎瞬、毎瞬、毎瞬、毎瞬、違う存在に本当はなってるんだよね。

全く一緒じゃないんだよ。
1秒前の私、10数秒後の私は、本当は若干違う存在なんだよね。

だったら別に今この瞬間、私がジャッジメントしてダメって思ってる部分ですら、今この瞬間だけの話で。
次の瞬間には、またちょっと違う自分になってるわけだから。

「永遠にこれがずっと続くものだ」って思った瞬間に、人は心の牢獄に入ると思うんですよね。
牢屋に自分で自分を入れ込む、みたいな。
変わらない、みたいな。

でも、毎瞬、毎瞬、全部が違ってフィルムが変わってる。
なーんだ、みたいな。

許せない、今のこの自分が許せない。
そう、今は許せないかもしれないけど、次のフィルムの瞬間には分からないんですよ。

そう思ったら、いきなりパッて気楽になりません?
でもそれは、本当に究極の自由なんですよね。

何にも捉われなくていいっていう。
結局、全部が移り変わるものだから。

毎瞬変わっていくものだから。
何にも捉われなくていい。


まぁいっか、みたいな。
本当に全部が、軽い感じになる。

ご自分を、心の牢獄に入れないであげてください。

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