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植松聖の家庭環境や生い立ちまとめ!整形や入れ墨、薬物との関係は?

「相模原障害者施設殺傷事件」を起こした植松聖被告に、死刑判決が下されました。

知的障害者19人を次々と刃物で刺して殺害した、あまりにも悲惨な事件です。

逮捕された時の不気味な笑いや、裁判中のまったく反省しているとは思えない言動の数々。

いったい彼はどのように育ったのか、家庭環境や生い立ちなどをまとめてみました。

植松聖被告に死刑判決

「相模原障害者施設殺傷事件」は2016年7月26日に発生しました。

植松聖被告は、以前自身が勤務していた知的障害者福祉施設「津久井やまゆり園」に裏口から窓ガラスを割って建物内に侵入し、職員たちを結束バンドで拘束して入所者を次々と刃物で切りつけ、約50分かけて入所者19人を殺害しました。

警察による取り調べに対して犯行容疑を認め、「障害者などいなくなってしまえ」などの過激な発言を繰り返しました。

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その後の精神鑑定では「自己愛性パーソナリティ障害」「反社会性パーソナリティ障害」など、複合的なパーソナリティ障害があるとの所見が示されましたが、刑事責任能力を問える状態だったとの診断が下されました。

初公判の日、植松聖被告は法廷に出廷し、証言台で被害者遺族に謝罪の言葉を述べた後、突然自分の小指を噛み切ろうとして退廷させられました。

この時の謝罪は被害にあった障害者に対してではなく、被害者の遺族に対して突然家族を奪ってしまって申し訳ないという気持ちでなされたもので、現在も植松聖被告は、被害者に対しては謝罪する気持ちはないと言い放っています。

そして、2020年3月16日、横浜地裁(青沼潔裁判長)の裁判員裁判は「死刑」を言い渡しました。

植松被告の生い立ち

植松聖被告は1990年(平成2年)1月20日、東京都日野市で誕生し「多摩平団地」で両親と共に生活していました。

植松聖被告が1歳の時、両親が神奈川県津久井郡(当時)の一軒家を購入し引越します。
この新居は、事件の現場となる障害者福祉施設「津久井やまゆり園」からわずか500メートルほどの距離でした。

両親や家庭環境は?

植松聖被告の父親の情報

・小学校の図画工作の教師
・真面目で厳しい人物だった
・近隣の住人によると「腰が低く優しい人」という印象があり、自治会などの活動にも積極的に参加していた

植松聖被告の母親の情報

・ホラー漫画家だった
・近隣住人からは「明るい人」との印象があった
・野良猫の餌やりなどを巡って近所トラブルがあった

友人の証言によると、植松聖被告はお母さんっ子で誕生日にプレゼントを買っていたが、お父さんにはよく叱られるようで悪口しか聞いたことがない、ということです。

その一方、近所の人には「父が教員だから自分も教員になりたい」と語っていたといいます。

幼少期〜小学生時代

幼少期は素直で手のかからない子供で、明るく優しい性格だったようです。

この時代を知る植松聖被告の幼馴染は「さとくん」と呼んでいた事や、陽気で明るい性格でわいわい一緒に遊んでいた事などを法廷で証言しています。

その後、相模原市の公立小学校へと入学します。

勉強は苦手だったが明るく人懐っこい性格だったそうです。

小学生時代の同級生の証言によると、クラスメイトに知的障害者もいたが、その同級生に対して植松聖が差別的な発言をした事はなかったということです。

近隣の住人は、素直で礼儀正しく活発で明るいイメージを持っていたそうです。

低学年の時にクラスメイト知的障害者の行動や、その親に笑顔がないとの作文を書いていたそうです。

その頃から、知的障害者に対して何かしらの考えを持ち始めていたのかもしれませんね。

中学生時代

相模原市内の公立中学校へと進学します。

バスケットボール部に所属し、勉強も出来る方だったそうです。

小・中学時代の同級生たちによると、人を笑わせるのが好きなムードメーカーだったようです。

「優しい子だった」「真面目」「会うと必ず挨拶してくれる」など、の証言がある一方、部活の後輩からは「キレたら怖い。机や椅子を蹴ったり物に当たり、手がつけられなくなる凶暴さがあった」との証言もありました。

高校生時代

私立八王子実践高等学校の調理科に進学します。
中学の卒業文集では「コックになりたい」と書いており、当時は料理人を目指していたようです。

不良っぽい雰囲気はあるものの女性にもそれなりに人気があったようで、彼女と家の周辺を手を繋いで歩いているところを、中学時代の同級生や近隣住人に目撃されています。

大学生時代に整形や入れ墨、薬物に手を出す

高校卒業後、帝京大学の文学部初等教育学科に合格し進学します。
近隣住人には「子供が好きなので学校の先生になりたいんです」と嬉しそうに話していたそうです。

大学4年生には自身の出身小学校で教育実習も行っています。

しかしその後から少しずつ変貌を遂げ、「髪の色を染めて服装が派手になった」と高校の同級生が証言しています。

半グレ集団ともつるむようになり、整形したり大麻や脱法ハーブなどに手を出すようになったそうです。
「相模原障害者施設殺傷事件」後の家宅捜索でも、大麻が発見されていました。

また、大学の仲間が次々と入れ墨を彫ったことがきっかけで、植松聖被告も身体中に入れ墨を入れるようになります。
当時、自宅の前で上半身裸になり入れ墨姿を見せつけるようにしながら、女性と共に体を焼いている姿も近隣の住人に目撃されています。

教職員になれずに職場を転々とする

大学在学中に教員免許を取得したものの、身体中の入れ墨などが原因で教師にはなれませんでした。

その後、自身のSNSに「今日から彫り師として一生懸命頑張っていく」と書き込み、彫り師に弟子入りしていたようです。

この頃から両親とは不仲になり、母親が泣き叫び怒る声や物を叩く音などが頻繁に聞こえるようになったそうです。

その後両親は植松聖1人をその家に残して、都内のマンションへと引っ越しました。

引っ越した原因は母親の近所トラブルだと言われているようです。

仕事は清涼飲料水の運輸関係などを転々とし、やまゆり園でアルバイトを始めます。

就職当初は「知的障害者はかわいい」などと話していたようですが、2015年頃から友人たちに「意思疎通ができない人はいなくなった方がいい自分は選ばれた人間」などと繰り返し言うようになったといいます。

そして事件は起こってしまいました。

植松聖被告と家族との現在

事件の数ヶ月前、植松聖被告は両親のマンションを訪ね、障害者の命を奪う考えを両親に伝えていたのだといいます。

両親は「周りの迷惑になる」「悲しむ人がたくさんいる」と止め、事件の4ヶ月前の2016年3月には心療内科に通うように持ちかけましたが、「大丈夫」と受け流されます。

両親の説得も虚しく、事件は起きてしまいました。

事件後、両親は10回以上面会に行き、植松聖被告が事件について両親に謝罪すると、
両親は涙を流していたといいます。

涙を流す両親を見て、植松聖被告は申し訳ないと思った」と語りました。

被害者やその家族の気持ちを考えると、本当に胸が締め付けられますね。

生い立ちを辿ってみても、なぜあのような考えになってしまったのか理解ができません。

大学時代に非行に走ったことよりも以前から、心の奥底に何かしらの傷や屈折した考えが芽生えてしまったようにも思えます。

本当にやるせない、心が痛む事件です。