歌手

槇原敬之の出身高校や大学はどこ?英語が上手で頭が良い?実家は電気屋さん!?

覚せい剤で2度目の逮捕となってしまった槇原敬之さんですが、噂によると頭が良かったのだとか。

今回は、そんな槇原さんの出身高校や大学、また実家についてもまとめてみました。

槇原敬之の出身大学はどこ?

槇原敬之さんは1991年4月に青山学院大学の文学部第二部英米文学科へ入学しましたが、1991年に中退しています。

第二部ということは夜間部ということらしく、現在は廃止されているようですね。

当時の青山学院大学の通常の昼間コースの英米文学科の偏差値は、60後半から70と難関大学に位置していたようです。

しかし、夜間部の英米文学科は51~53ぐらいの偏差値だったようですね。

槇原敬之、3浪するがすでに歌手としてデビュー

槇原さんは大学に3浪したそうですが、2浪していた時期の1990年にリットーミュージック主催のオーディションに「NG」という曲で応募し、見事にグランプリに輝いたのだそうです。

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それをきっかけに、1990年10月にシングル「NG」とアルバム「君が笑うとき君の胸が痛まないように」でデビューを果たしました。

親から大反対で大げんか

2浪していた頃に見事歌手デビューを果たした槇原さんでしたが、両親からは「遊んでばかりいないで早く大学に行ってしっかりとして仕事に就きなさい」と言われ、大げんかしたのだそうです。

そのことで槇原さんも「せめて大学だけは合格しなければ」という思いが強く、3浪してやっと大学に合格したのだそうです。

大学1年生だった1991年、6月にリリースされた3rdシングル「どんなときも」が190万枚ものミリオンセラーとなり、両親も納得してくれたようで中退を決意したのだそうです。

大阪の駿台予備校に3年間通っていて、関西学院大学も受けたそうですが3回落ちてしまったそうです。

槇原敬之、英語教師を目指していた!?

青山学院大学も関西学院大学も英語が堪能で有名なので、槇原敬之さんは英語にこだわって志望校を選んでいたのかもしれません。

というのも、槇原敬之さんは歌手になるまでは英語教師になるつもりだったのだそうです。

青山学院大学に入学するために中学校から勉強し直すほどの力の入れようだったといいます。

槇原さんの英語の発音が良いという声も上がっているようです。

槇原敬之の出身高校はどこ?

槇原さんは1985年4月に大阪府立春日丘高等学校へ入学し、1988年3月に卒業しています。

大阪府茨木市にある高校で、偏差値は68なので難関の高校ですね。

大学は3浪しているものの、やはり頭が良かったのですね。

高校時代に、坂本龍一に絶賛されていた

槇原敬之さんは高校1年生だった1985年に、坂本龍一さんのNHK-FMラジオ「サウンドストリート」にデモ曲「HALF」を送ります。

すると、坂本龍一さんから大絶賛されていたのだそうです。

その様子はこちらです。

高校生なので声が少し幼いような気がしますが、しっかり槇原さんの声ですね。

グループ名のような名前で応募していますが、すべてのパートをひとりで歌っていたのだそうです。

授業中に歌詞が思い浮かぶとすぐに書き留めていたそうなので、勉強はぜんぜんしていなかったようです。

そのため、のちに3浪することになってしまったのでしょうね。

槇原敬之、中学時代はいじめられていた!?

中学時代は鉛筆を全部折られたり、ボールをぶつけられたりしていじめられていたのだそうです…。

仕返しをしてはいけないと両親から言われていたため、「いじめる子は寂しい子なんだ」と思うようにし、休まず学校に行っていたのだそうです。

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それでもポップス同好会を創設し、中学2年生から作曲をしていたといいます。

同級生だった、レコーディング・ミキシングエンジニアの沢田知久さんと知り合ってからはデモテープを作るようになり、150本ほどダビングしたテープを行きつけのお店に置いてもらうとすぐに完売したのだそうです。

曲を聞いた人から元気が出ました」と手紙をもらうこともあったそうです。

槇原敬之の実家は電気屋さん!?

槇原敬之さんの実家は大阪の高槻市南平台にあるみまつでんき」という電器店を経営しているようです。

いかにも街の電気屋さんという雰囲気で、家族経営されているそうですね。

高校時代には槇原さんがクーラーを取り付けに行くこともあったのだそうです。

槇原さんから電気屋さんのイメージがまったくないので、驚きましたね。